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別冊宝島771号 音楽誌が書かないJポップ批評25 フリッパーズギターと「渋谷系の時代」
(
宝島社/2003年)
に提供した「オリジナル&ネオ渋谷系アーティスト・ベスト52」
の元原稿を置いておきます。

(注:なお、ここでの"ネオ渋谷系"とは、90年代後期から00年代初頭の渋谷系的アーチストを総称するに、便宜上使用されたものであり、00年代中期頃に定義された"ネオ渋谷系"とは全く異なるものであります、あしからず。いわゆる定義上のネオ渋谷系アーチスト群については、コチラでも参照になさってください。フューチャー・ポップ、乙女ハウス、ニュー・レイヴなどについてはコチラへ。)

アドバンテージ・ルーシー
1995年9月に結成されたギターポップバンド。アイコの伸びやかで澄んだ声の説得力は、そこで唄われる群像にちゃんと呼吸をさせる。ルーシーの曲を聴くたび、遠足の前の日の胸の高まりを思い出すよな。

イエス,ママ オーケー
「テレバイダー」司会で注目された金剛地のユニットは略してYMO?か。シンバルズらを輩出したLD&K初期の代表格の彼らは、後続の彼らの持つイジワルさを特倍濃縮した、言わばサディスティック・シニカル・ポップ。

井上睦都実
渋谷系の持つサークル感覚は性の匂いを嫌う、故に彼女のサバサバと少年然とした空気は支持された。鬼キャッチー路線をピチカートで突き進んでいた小西が提供した作品はどれも、いい湯加減なラウンジ感に溢れている。

インスタントシトロン
1993年福岡で結成されたポップユニット。片岡知子の声は、繊細でいながら凛としてとても「カワイイ」とだけで済ませられない。折角の秀作が世間の悪戯で廃盤になったり再発したり、これを不遇と言わず何という。

ヴィーナス・ペーター
90年代初頭に一時的に巻き起こったマンチェ系ギターロックブームの旗手となったバンド。フリッパーズとは対照的に不当なまでに現在、低評価に甘んじているバンドであるが、その理由は同じ時代を生き抜けた筈なのに微塵も感じ取れない生活感か。解散後、沖野俊太郎はインディアンロープとして活動、ベースの古閑裕はインディーレーベルK.O.G.Aを運営し、ナンバーガール、デキシードザエモンズなどの作品をリリースしている。

エスカレーターズ
ZOOCOの持つ肉感的なボーカリゼーションで、多くの聴く者を惹きつけたグループ。高浪敬太郎プロデュースのファーストアルバム『プラネットe』から感じられるのは、ディーヴァだらけのカラオケ大会と化した今日のポップス界においても十二分に通用する満ち溢れる黒いファンクネス。惜しむらくは、彼らならではの何かが、その余りにも実直な姿勢ゆえに見えないことだが、先駆者として再度の評価が待たれるグループである。

エル・マロ
1991年、柚木隆一郎と會田茂一によって結成されたギターデュオ。スペイン語で"悪党"を意味する名前も頷ける意地の悪さがその音楽に潜む。ロックに正解があるならば、それを疑ってかかろうと猪木フェイスで戦闘姿勢でいるよな。優等生であることが無意味となり、美意識の軸も揺らぎ切った時代の不確かさを的確に捉えた、正しく病んだロック。笑われてるようだね、この音楽を楽しめるお前も相当に病んでんだよ、ザマアミロ、と。

エレクトリックグラスバルーン
湿気たギターに乗っかる揺らぎに満ちた声。時代が、も少し早ければ只の下手と聴き捨てられる嫌いのある杉浦のボーカルもあの空気のリアルを表現するには十分すぎたんだな。そして杉浦はスギウラムへ。

OOIOO
1995年に雑誌「SWITCH」で架空のバンドを作って撮影する企画から生まれた、ボアダムズのヨシミ率いるロックバンド。渋谷系がニューウェイヴの90年代的解釈であることを感覚的に証明した。

かせきさいだぁ
ヒップホップ・ユニットのトンペイズでの活動を経てソロとなった加藤丈文のソロ名義。ヒップホップは勿論、日本で生まれたものではないゆえ、先駆者である近田春夫やいとうせいこうでさえも米国のオールドスクールからの見よう見真似ではじめたものであった。かせきがまずヒップホップしようと思いついたのはスチャダラパーのライヴをみて、これならできる、と思ったから、という。スチャダラパーの描く日本人の情けなさからは、どうしても対外意識を振り切ることができなかったが、かせきはヒップホップを純粋に手法の一つとして手にし、縦横に実践した。はっぴいえんど、つげ義春など挙げればキリがない引用は、フリッパーズがビーチボーイズやペイルファウンテンズなどを拝借したのと同列に平然のことであり、ボクらが生きている時代は決して過去から分断されたものではない、とも考えさせてくれる。微熱少年はどの時代にも息をしているのさ、と。

カプセルジャイアンツ
米国音楽のレーベル"カーディナル"から1996年にデビューしたギターポップ・バンド。音響派的なアプローチもあり割と先鋭的なグループであったが如何せん時期が悪かった。今いきなり評価が始まっても不思議でない。

キミドリ
スチャダラの台頭を受け、好奇の耳で聴かれ出した所謂Jラップ勢の中でも硬派なリリックの作品を展開した3人組。米ヒップホップの只の模倣でないこの独自性を引き継いだ成功例が近年生まれていないのは悲しい。

キリンジ
かせきさいだぁの後押しで世に出た兄弟。もはや陳腐化し息絶えたと思われたシティポップの血脈を、今日的なカオス感覚を加えることで蘇らせた。その第三の男と称される冨田恵一は2003年冨田ラボとしてソロデビュー。

コーザノストラ
モー娘。のインディデビュー曲「愛の種」の作編曲者としても知られる桜井鉄太郎率いるユニット。1991年に流動的なDJプロジェクトとして始動、1994年よりバンド形態に。"秘密犯罪組織"との意味の名称を持つ彼らのサウンドはエロチック。その官能性は和のそれより、むしろ三流の米国ポルノの過剰な妖艶さに近い。所詮、自分らの血と骨も借り物なのだからそれならば、とダミーとしての猥雑な手触りを追い求む批評性も顔を出す。

サニーデイ・サービス
1993年夏、曽我部恵一らにより結成された3人組。黎明期こそフリッパーズ・ギターに似たアプローチを試みていたその若者たちは、都市生活者としての立ち位置をはっぴいえんどら先達に見つけることで、珈琲色にかすれた不変たる日常を綴ろうとした。出口などない余りにも平坦な現状にただただ諦念で向かうのではなく、その中に現れては消える笑いと涙を丁寧にかき残した。2000年12月に惜しまれつつ解散、曽我部はソロで活躍中。

シーガル・スクリーミング・キス・ハー・キス・ハー
"ガーリー"という価値観が日本に根付いた90年代、その意識が産み出した至極真摯なロックンロールバンド。愛葉はシャカゾンビのツッチーとのユニットであるラヴォルタ、小山ナオはイラストレーターとしても活動。

清水弘貴
"昨日の夢は遠く流れる風になり こころ 揺らいで もう迷うことはない"と「Heavenly」で唄う彼の作品世界全体に漂う潔さはブリッジとしての過去を上手く清算できたからだろうか。それは洗い晒しのシャツのよな手触りで。

ショコラ
眼鏡な僕らが愛する短髪少女の90年代後期担当。1999年のシングル「Fargo」で冬の訪れを喜ぶ女子を"マフラー巻いたまま ホットケーキ焼く"と描いた彼女の光る作詞の才。旦那はグレイト3の片寄明人。

スチャダラパー
ボーズ、アニ、シンコの三人組ラップグループ。1994年には、小沢健二と共作した「今夜はブギーバック」をヒットさせ日本歌謡界にラップミュージックを紹介した先駆者。怒り、憂い、糾弾する、そんな対象なぞそもそも存在しなかった国民総中流意識の90年代前半の温室感覚を三人は肌で感じ、ありのままにカッコ悪く吐き出した。葛藤を覚えるものなどありゃしない、あるのはただただその締まりのない自分自身だけなのだから、と。

高浪敬太郎
言わずと知れたピチカートのオリジナルメンバー。高浪と同じく野宮真貴を擁したバンド(ポータブルロック)で活動した盟友、中原信雄と共に作りあげられるサウンドは、小西のピチカートが敢えて削いだ繊細な色合い。

高野寛
テントレーベル主催"究極のバンドオーディション"出身の音楽家。甘い声とキャッチーなメロディで「虹の都へ」などはヒットを記録。マニアな知識と感覚を一般受けするように調理する腕はまさにポップ職人。

TMVG
写真家、デザイナーの常盤響と音楽番組の司会などでも活躍する水本アキラによるDJユニット。なんでもあり、という時代感覚をそのプレイ姿勢で示した。ニューウェイヴであろうとすることが当然の世代からの一回答。

テイ・トウワ
坂本龍一のラジオ番組に送ったデモテープで注目され、多国籍ロックバンド"ディーライト"での世界的ブレイクを経て、ソロに転身した音楽家。東京生まれの韓国人という出自が産み出すイイ意味でのルーツの無さは、彼にあらゆる要素を呑み込ませ、それが面白いまでに自在に血肉化されていくのである。例えば、今田耕司との一連のコラボレーションは、YMOに学んだ笑いの感覚とサービス精神を彼なりに消化した結論だったのであろう。

東京スカパラダイスオーケストラ
1985年、ASA-CHANGを中心に結成された楽団。都内を中心に精力的なライヴ活動を重ね、1990年にメジャーデビュー。スカを基調に、東京の貪欲な雑食性をそのまま音に還元したような、猥雑で下世話なデラックス・サウンドはその時に合わせて趣を変えながらも、濁り曇ることはない。常にクールにバンドのグルーヴ感を失うことなく、演者と聴き手が一体に楽しむことを第一目的とする熱いエンターテイメント感覚は唯一無二である。

TOKYO No.1 SOUL SET
1989年結成されたヒップホップユニット。ヒップホップはアメリカに生きる若者の日常を直情的に表現する術として生まれたものであるから、それが日本でかような進化を遂げるのも何ら不思議なことではなかった。川辺ヒロシと渡辺俊美が産み出す、東京という都市の混沌をそのまま音像化したようなトラックを背にして、ビッケが淡々とそして朗々と言の葉を吐き千切る。夜の闇に滲むネオンライトの美しさにも似た大東京交響曲。

東京パノラママンボボーイズ
当時の東京が孕んでいた無駄な熱気が落としたソイソース色の汗。今聴きなおすに既に珍しい音楽ではなくなっており、ラテンをも日本の音楽は呑み込んだのか、と思うばかり。マン盆栽で知られるパラダイス山元が在籍。

ナイス・ミュージック
1991年春、佐藤清喜と清水雄史の二人によって結成されたユニット。フリッパーズギターらがミュージシャン側にもたらした影響に、自らのリスペクト対象でありネタ元の無邪気な開陳を肯定したことも挙げられよう。して、ナイスな彼らの抽斗はソフトロックでありYMOなどのテクノポップであった。初期ピチカートファイヴにも通じる汗かかずのデオドラントポップはどこかしら郷愁も滲ませる。解散後、佐藤はマイクロスターで活動。

ニール&イライザ
1996年に結成された松田岳二と堀江博久のユニット。反骨精神やニューウェイヴ感覚からではなく純粋に楽しい音楽を考えていたら出来てしまったような音楽。浮世離れしたいボイズンギャルズにおくるメレンゲ・ポップ。

ネロリーズ
高校生でインディデビューした、ボーカルとアコーディオンの栗原淳と、ギターの久保和美の二人組。日本音楽界への背信や決別とは無関係に無自覚に、単に洋楽好きだからという淡い動機により英語で唄われる甘く酸っぱいネオアコ女子世界。彼女らの成功は、多くの女子にギターをかつがせ,そのスタイルまでも真似させた。それが良かったかというのはまた別の話だが。解散後、栗原はソロ、久保はカズミ・ウィズ・リッキーズで活動。

ハイポジ
もりばやしみほを中心に1988年に結成されたニューウェイヴユニット。特異な表現としてではなく、私を表す一手法としての性生活の吐露が一般水準まで浸透した時代に遂に開花。因みにもりばやしは信藤三雄の奥方。

バッファロードーター
ハバナ・エキゾチカを前身に結成されたロックユニット。1996年にはビースティ・ボーイズのレーベル"グランド・ロイヤル"からも作品をリリース。情報が氾濫する中、何も選ばないことも選択であることに気付いた賢明な彼らが築きあげようとした、最早ロックでない何か、それが結果としておニューのロックだった。何を軸にするか、その答えが出ないなら軸を抜いちゃえばいいじゃん、とアイデンティティを積極的に放棄した音楽。

ファンタスティック・プラスチック・マシーン
田中知之のソロユニット。京都クラブメトロなどでDJとしての実績を積み、1997年小西康陽のレディメイドより音楽家としてデビュー。元編集者ということが頷ける平衡感覚を以ってクールでゴージャスな音世界を構築。ヒップホップが音楽の一ジャンルではなく、その一手法となった時代を象徴する擬似オーケストラル・ミュージック。手塚治虫が描いた丸みを帯びた未来を音で表現したような。ほんと、戦争なんて馬鹿らしくなるよな。

フィッシュマンズ
佐藤伸治、茂木欣一、柏原譲らによるロックバンド。ミュートビートの樹の下にあらわれた彼らは、成長を重ね、1996年にアルバム『空中キャンプ』を発表する。本作は、ロックをロックたらしめる最小限の要素を、真っ白なカンバスに垂らしたかのよう。柏原が弾く深いいびきのようなベース、茂木が叩く雨露のような響きのドラム、蜜蜂の羽音のように静かに震える佐藤の声、そのすべてに無駄がなくあたたかな空虚を演出している。それは、まるで岡崎京子が『リバーズエッジ』で描いた夜の気配にも似て。同1996年、1曲だけのアルバム『ロングシーズン』を発表。そこで延々と呟かれるのは、色彩も時間も空気も自分も全てが溶け消える、うたかたの音楽。その後も1997年の『宇宙 日本 世田谷』など秀作を発表、1998年に柏原が脱退、1999年に佐藤が急逝。フィッシュマンズという存在自体が、まるで嘘だったように消えた彼ら。その作品の中に確かに彼らも溶け込んでいる。

プラスティック・スクイーズ・ボックス
カマダジュンコ、ハヤシベトモノリ、ワキヤタケシらによるユニット。渋谷系を渋谷系として学び、その本質を知りすぎた子供たちが送るポップ・インフレーション、または脳内ヴィレッジ・バンガード。

フリーダム・スイート
山下洋を中心に、岡真太郎、松田岳二、江藤博之、高野勲らが参加していたロックバンド。武骨で酒の汗の匂いがする馬鹿のつくほど生真面目なロックバンド。流行らないと判っていながら不器用に無造作にただただ自分の信じたロックンロールの黒く錆びたレールを進んでいく山下洋は男である。彼らが英語詩を選んだ理由はそれが先達への尊愛によるものなのだろうか、男の最後の照れ隠しなのだろうか、とにかく熱いロックバンド。

ブリッジ
カジヒデキが在籍したことで知られるネオ・アコースティック・バンド。メンバーは大友真美、清水弘貴、大橋伸行、池水真由美、加地秀基、黒沢宏子の6人。聴きたい音楽をつくりたい、というリスナー感覚の色濃いサウンドは、実に耳ざわりがよく、音楽を聴くことを楽しくさせる。ただ、その表現者としてあまりにも過保護な姿勢は、バンドとしての進化を嫌った。結果的に、破綻をきたした彼らはたった2枚のアルバムを残して解散。加地、清水、大橋はソロで、大友はシカゴベース、池水はTHREE BERRY ICECREAMと、それぞれが異なる音楽を追求することを選ばせた。その後の彼らのまったく志向性の異なる音楽性を考えるに、ブリッジはそれぞれにとって避けられないモラトリアムだったのだろう、と思う。バラバラのベクトルを持った6本の線分がたまたま交差した瞬間を封じ込めたような。彼らの音楽からどこかしら漂う刹那さの所以はそこにあるのだろうか。

プレイグス
ロックの遺産を自在に手にすることが当然となった世代は、当然のように米国のロックが最も米国的であった時代の音をも日本で再現した。渋谷系とは日本のロックの無国籍化を象徴した語だと再確認させてくれる。

プレクトラム
パーフリの功罪に、続く世代が青年期モラトリアムを半積極的に肯定し始めたことも挙げられよう。そんなパステル色に澱んだ空気を描いた成功例のひとつ。楽しくも下らない毎日を歌にしてもいいよね、と苦笑混じりに。

PATE
大橋伸行。「WINDING」で"深い溜め息ばかりの昨日を忘れないよう"と唄う彼の作品から元ブリッジとしての過去を嗅ぎ取ることは難しい。その1st.Al.は商業音楽界に投げ出された男の混迷の記録である。

Paint In Watercolour
靴を凝視するよな格好で一心にギターを掻き鳴らす、所謂"シューゲイザー"系の代表的バンドの一つ。学習的ではなく寧ろ反射的に当時の英米の先鋭たる音をなぞった世代を象徴している。只、余りにも忠実に過ぎたんだ。

暴力温泉芸者
小山田圭吾がミーハー少年少女に仕掛けた罠としてのムーブメント"デス渋谷系"の主翼を担った中原昌也のノイズユニット。小山田をも狂わせる中原が放つ大いなる負の磁場は、関わる全てをマイナスに引き込む。したり顔で言うならば、中原の音楽はモチベーションをいかに低くして表現を成立させるか、という脱表現の実験か。いやしかし、その実は単なる欺瞞だろう。文芸の分野でも、その負の才は発揮され、遂に三島賞をも奪い去った。

ホフディラン
"ワタナベイビー"こと渡辺慎と"テンフィンガーユウヒ"こと小宮山雄飛のデュオ。再利用できない産廃であるCDを売ることが仕事である自分達を笑い、過去の音楽遺産の勝手な再利用の肯定も表明する、といった自分たちのアンデンティティの不確かさすらも売りにする批評性も持ち得た90年代のフォークゲリラ。渡辺の底抜けに享楽的なポップ、雄飛のヒネくれながらも爽快な楽曲、その両者に通底するのはこの時代特有の漠然とした諦観か。

嶺川貴子
淡い色の水彩絵の具が水に溶けていくのをただ見続けるよな。そんな曖昧でぼんやりとした音楽を産み出していく彼女には生来のフュージョン感覚が備わっているのだろう。スキアやADSなど外部音楽家との共作においても決して相克するのではなく無意識的に融合し溶け込もうとする彼女の音楽は、インテリジェント・アメーバー・ポップとも形容したくなる。いやはや懐が深いや。ちなみに元L-R。ちなみに旦那は小山田圭吾。

ユカリフレッシュ
元スナップショットの高崎ゆかりのソロユニット。ちっちゃなトムとジェリーがテーブルの上で追いかけっこをしてるのを見てるよな。そんなしあわせ感。楽しくなくっちゃ音楽じゃないってば、と胸張って言われた気分。

ラヴ・タンバリンズ
エリ、斎藤圭市、大町博通、宮川弾、平見文生の5人らによるバンド。1991年に結成され、1993年にクルーエルからデビュー。1995年に唯一のアルバム『Alive』を発表。彼女らの登場から10年経過した今、予備知識ゼロで、なぜ彼女らがもてはやされたのかを本作に聴くことは難しい。勿論、確かな演奏力とエリの力強いボーカルは評価できようが、英詞で展開されるその世界は借り物である印象は拭えない。どうやら深い愛の物語を唄っているようなのだが、そんなもの当然訳詞を読まないと判りやしない。でも、それで十分に機能していたのだな。本質を敢えて伝えない、なんとなくオシャレと思える雰囲気、それで十分だったんだ。そもそも本質なんてなかったんだろうから。空虚なまでにソウルフル、そんな彼女らの音楽を今聴いて思い浮かぶは、悲しいかな渋谷系は所詮ファッションだったんだな、都市を生きる若者たちをそこで生かすための迷彩模様の音楽だったんだな、と。

ラブライフ
大谷友介と大舘健一らにより1994年に結成された高機動性エレポップユニット。90年代後期に突如巻き起こるニューウェイヴオヴニューウェイヴの先駆として評価したい。解散後、大谷はポラリスで活動。

ラムジャムワールド
ミュートビートで日本のダブミュージックの礎を築いた朝本浩文の音楽実験工房。森若香織やリサ(のちにm-flo)ら様々なボーカリストを迎えて展開される音彩の宴。ドラムンベースを当たり前のものにした最大の貢献者。

レ・ファイヴ・フォー・スリー・トゥ・ワン
元ファントムギフトのサリー久保田が結成した擬似フレンチポップス志向のユニット。聞こえは悪いが、ピチカートの成功が産み落としたその類似品の一つと言っても強ち間違いではなかろう。この頃、有頂天のケラはロングバケーションを組織、KYON2はスクーターズをカバー、田中美奈子はパール兄弟の窪田晴男によりminakoとして再生しようとした、その空気こそが渋谷系だった。ちなみに、レファイヴ2代目ボーカルは元リボンの松野。

ロケット・オア・チリトリ
米国音楽のレーベルが世に送った、東京ニューウェイヴな年に生まれた、ベックをアイドルとする柴原聡子のソロユニット。そのヘンテコで愛らしい宅録サウンドは、まるで台所で生まれたクッキーやケーキのようで。

ロッテンハッツ
渋谷系の一ルーツであるネオGSの主翼を担ったワウワウヒッピーズなどのメンバーが結集。米国ロックの滋味と渋味をポップスに溶かそうとした試みはヒックスヴィルとグレイト3への再分裂後に、大きく結実した。

ロボショップマニア
1995年に結成された利根川貴之と眞鍋卓嗣の二人組ギターポップユニット。まずフリッパーズギターありきという90年代インディポップの雛型であり反面教師。偉大なる先達を解毒して萌えの要素を加えました。

ロンロンクルー
パンク、モッズ、ギターポップの要素を融合させたドライヴ感あふれるサウンドが魅力の伊達男三人組。新井仁は,ノーザンブライトでメジャーデビュー。このバンドに吉野桃子を迎えるとオートマチックスに。


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