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-20世紀日本クラブシーン紳士録-

 日本のクラブシーンはただ生まれたのではなく、人により作られたもの、そりゃそうですわな。てなわけで、それを作り上げた偉大なる人たちをざくっとご紹介。

関連:20世紀日本クラブシーン年表/開閉編


■天宮志龍[天宮志狼](Amamiya Shiro、〜2009年1月12日) 本名:増谷充道
80年代に大阪でDJ活動を開始。大阪「ゲネシス」、大阪「QOO」などでDJ活動し、大阪クラブシーンの中心的存在となる。八木繁和らと結成した“ECSTASY BOYS”として作品もリリース、1994年にはcutting edgeからアルバム『ムーン・ダンス』もリリースしている。父親はジャズピアニストの田中武久。2009年1月12日心肺機能不全のため逝去、享年50。
■石原智一(Ishihara Tomokazu)
通称トクさん。国産ジーンズメーカーGrassを経て、BASSOを立ち上げたのち、1982年桑原茂一とともに「ピテカントロプス・エレクトス」をオープン。そののち、2001年まで東京代官山にてレストランを経営。2002年8月には、マルタ共和国にて初の日本食レストラン「禅 zen sushi & japanese cucine」を開店。
■石原尚(Ishihara Hisashi)
サーフショップ「スラッシュ」の開店・閉店を経て、1990年の「CLUBエロス」のオープンに伴い、企画・PRを担当。1994年に株式会社BRAND NEW MADEを設立。
■折口雅博(Origuchi Masahiro、1961年6月11日〜)
日本ユニバック勤務を経て、1985年に日商岩井に入社。1991年の「ジュリアナ東京」のオープンに関わる。1992年に日商岩井を退社し、1994年には六本木に「ヴァルファーレ」をオープンさせる。
川畑満男(Kawabata Mitsuo)
1979年、六本木旧防衛庁前にソウル・バー「ラヴィング・パワー」をオープン。その後、六本木「テンプス」(1985年)、渋谷「ヒップ・ホップ」(1986年)、赤坂「ミラクル」(2003年)をオープン。コンピレーションCD『SOUL GALAXY』などの選曲・監修も手がけている。
■木村コウ(Kimura Ko、1967年5月18日〜) [コウ木村]
自宅でオリジナル・テープを作成するなどしていたのち上京、初台「カフェ・ド・フリッツ」などでDJを担当。のち、六本木「J-TRIP BAR」、西麻布「トロス・クラブ」などでDJとして活躍。1996年4月には、西麻布「イエロー」でレギュラー・パーティ“KOOL”を開始、2008年6月の「イエロー」閉店まで続くイベントであった。
■佐藤俊博[佐藤としひろ](Sato Toshihiro、1952年〜)
日新物産のパブ「カンタベリーハウス」にアルバイトととして関わったのち、「ツバキハウス」の店長に。「玉椿」などの立ち上げにも関わる。1984年7月の「ピテカントロプス・エレクトス」閉店後、岡田大弐とともに同店を同年10月「クラブD」としてリニューアル・オープンさせる。1989年には芝浦に「GOLD」を開店。その後も恵比寿「みるく」(1996年)、六本木「ローリングストーンカフェ」(2007年)などのプロデュースを手がける。
■澤谷博美
六本木「クレオ2」の店長などを経て、M・I・Dの社長に。
■式田純[シキタ純](Shikita Kiyoshi、1951年〜2017年9月10日)
丸紅を退社したあと、1982年に伊島薫、ミック板谷とともにカセットマガジン“TRA”を刊行。そののち、かの香織がヴォーカルを担当する“ショコラータ”、小林径らによるユニット“ファンクマスター・ゴーゴー”らをプロデュース。1990年秋には自らのバンド“ザ・スリル”を結成、1992年にはメジャーデビューするも、1995年に創設者である自分はバンドを脱退している。2017年9月10日死去、享年66。なお、シキタの母は評論家の式田和子。
■高木康行(Takaki Yasuyuki、1968年4月2日〜)
高校時代、友人の誘いから西麻布「P.PICASSO」でDJをはじめる。のち、神楽坂「ラトゥン」のオープニングに参加。「ラトゥン」のほか、西麻布「トロス・クラブ」などでDJを担当。
■高橋透(Takahashi Tohru、1957年〜)
DJ。70年代中頃から、DJ活動を開始し1980年にはニューヨークへ移住。1981年に帰国して、「ツバキハウス」、「玉椿」、「クラブD」などのメインDJをつとめるも、1985年に再びニューヨークへ戻る。1989年、芝浦「GOLD」のオープンの為に帰国、メインDJ&サウンド・プロデューサーを担当。日本のハウスミュージック界の最重要人物のひとり。
■高橋征爾(Takahashi Seiji)
芝浦「GOLD」のスタッフ。2002年には、新木場「ageHa@studio coast」をオープン。
■武邑光裕(Takemura Mitsuhiro、1954年〜)
メディア美学者。芝浦「GOLD」のプロデュースに関わり、マンスリーパーティー“ECCO NIGHT”を開催した。
■唐文智(Tou Bunchi)
六本木「ザ・サーカス」、六本木「クラブ・レーニア」、西麻布「アズ」などを手がけた空間プロデューサー。
■トシ矢嶋(Toshi Yajima)
企画・プロデューサー。1978年頃よりフォトジャーナリストとしてロンドンの音楽シーンを日本に紹介。TALKIN LOUDのコンピレーションの監修、自らプロデュースのレーベル“MO'MUSIC”よりコーデュロイの作品をリリースするなど、90年代前半に日本でも巻き起こったアシッド・ジャズムーブメントに大きく貢献した。
■富久慧(Tomihisa Satoshi、1952年〜)
DJ。西麻布霞町のクラブ「Tommy's House」(1979〜1983年)、新宿花園の「第三倉庫」(1984〜1986年)などを運営。2006年5月26日には、南青山に「クラブ・カクタス」を開店させた。JZ BratのレジデントDJとしても活躍。
■成田勝(Narita Masaru)
「マハラジャ」を運営していたエヌ・エンタープライズの社長。1986年には歌手デビューするなど、マハラジャ・チェーンのイメージリーダー的存在としても知られる。
■ニック山本(Nick Yamamoto) [山本辰史]
関西電力での会社員生活を経て脱サラ、1986年に京都三条木屋町にジャマイカン・レストラン&バー「RUB A DUB」をオープン。1988年には大阪市福島区にクラブ「ダイナマイト」を開店。1989年にアップライジング株式会社を設立。1990年には、京都川端丸太町にクラブ「メトロ」、大阪市西区土佐堀にクラブ「パラノイア」を開店。
■日限萬里子(Higiri Mariko、1942年〜2005年3月14日)
空間プロデューサー。1969年に大阪炭屋町にカフェ「LOOP」を開店、若者たちを中心に人気を呼び、アメリカ村の拠点のひとつとなる。1978年には大阪初のディスコと言われる「パームズ」を開業、「ジジック」「ジュビレーション」などとともに大阪のディスコブームを形作る。1987年秋には南堀江2丁目に、大阪初の本格的クラブといわれた「LIFE」を開業。そのあとも、1991年オープンの難波「QOO」、1998年オープンの南堀江「ミュゼ大阪」などのプロデュースを手がける。2005年3月14日、乳がんのため逝去、享年62。
■ビリー北村(Billy Kitamura、1960年8月23日〜)
DJ、デザイナー。新宿「ツバキハウス」や六本木「玉椿」などでDJとして活躍。大貫憲章とともにロンドンナイトを手がけたのち、ロカビリーナイトを開始、ともに人気を博す。須永辰緒のDJとしての師匠的存在でもある。1984年には自らがデザイナーとしてブランド“Billy”をスタート。チェッカーズ、BOOWY、プリンセスプリンセスなどに衣装を提供。
■藤井悟(Fujii Satoru、1963年8月7日〜)
DJ。「ツバキハウス」のロンドンナイトなどで遊び、のちに高木康行の誘いで西麻布「P.PICASSO」のDJとなる。西麻布「P.PICASSO」のほか、青山「MIX」、西麻布「328」でDJを担当。
■前園勝次(Maezono Katsuji)
1979年6月より、西麻布「328」を経営。
■牧野雅己(Makino Masami)
1984年、新宿「ツバキハウス」でDJデビュー。 以降、六本木「玉椿」、西麻布「TOOLS BAR」、六本木「ODEON」、渋谷「CAVE」、新宿「MILOS GAREGE」などでメインDJをつとめる。2001年には、六本木に「DJ LOUNGE SONORA」を開店。2003年には、六本木「INK STICK」跡地に「ROSA FIESTA」をオープン。
■松井雅美(Matsui Masami、1950年〜)
空間プロデューサー。西麻布霞町「レッドシューズ」(1981年)や六本木「パラディッソ」(1985年)などのカフェバーの内装を手神がけた。ほかに、芝浦「タンゴ」(1986年)、「インクスティック芝浦ファクトリー」(1986)、「アクアバー」、原宿「TESORO」、楽坂「ラトゥン」などを手がける。
■松山勲(Matsuyama Isao、1950年〜2003年8月19日)
プロデューサー。1981年に、西麻布に「レッドシューズ」をオープン、カフェバーの草分けとなる。その後、「タンゴ」、「インクスティック」(六本木、芝浦、鈴江、djバーインクスティック渋谷)、六本木「ミントバー」を生み出した。
■松田高志(Matsuda Takashi)
DJ。新宿のディスコ「100BOX」の店長でありDJを経て、1978年六本木「玉椿」のオープニングに参加。その後、「ツバキハウス」のプロデューサーとして活躍、“ロンドンナイト”“ヘビメタナイト”などを手がける。
■村上里佳子(Murakami Rikaco、1966年3月30日〜) [RIKACO]
タレント、女優。芝浦「GOLD」でAIDSをテーマとしたイベント“リカコ・ナイト”をオーガナイズ。
■村田大造(Murata Daizo)
空間プロデューサー。西麻布「P.PICASSO」(1985年)、渋谷「CAVE」(1989年)、西麻布「YELLOW」(1991年)、代官山「AIR」(2001年)などを手掛ける。2010年1月には、村田主宰レーベル“Heart Beat”の第1弾としてデリック・メイによるミックスCD『Heart Beat Presents Mixed By Derrick May (TRANSMAT from DETROIT)×Air (DAIKANYAMA TOKYO)』がリリース。
■モンチ田中(Monchi Tanaka、1960年2月24日〜) [MONCHI MONTANA/田中正彦]
DJ。ロックバンドでのドラマーを経て、ディスコ通いを始め、そののちDJに。日本でスクラッチをいち早くはじめたうちの一人。1985年、マイケル山田[山田国夫]とともに、DJ集団「M・I・D」を始動。1990年には、リミックスチーム「WBC(WORLD BEATS COMPANY作」を設立。田中がリーダーをつとめ、羽毛田丈史も参加したユニット、ジュピター・プロジェクトとしての品も発表している。
■門野久志(Monno Hisashi)
1989年より、西麻布「レッドシューズ」につとめ、のちに同店の代表となる。「レッドシューズ」は1996年に閉店するも、2002年に青山にて営業再開。2004年には、森永博志との共著『レッドシューズの逆襲』が刊行されている。
■八木繁和(Yagi Shigekazu)
1979年、梅田のディスコ「ジンバブエ」でDJ活動を開始。大阪アメリカ村のクラブ「サンホール」、難波のクラブ「ロケッツ」などでオーガナイザーとして活躍。天宮志龍によるエクスタシー・ボーイズのメンバーとしても活動。
■山本コテツ(Yamamoto Kotetsu、1959年5月13日〜)
空間プロデューサー。六本木「トゥーリア」(1987年)、大阪「ゲネシス」(1987年)、「MZA有明」(1988年)などを手がける。『山本コテツの凸凹物語』の著書もある。
■吉岡たかし(Yoshioka Takashi)
スチャダラパーなどを輩出した“DJアンダーグラウンドコンテスト”を主催。また、いとうせいこうのマネージャーもつとめる。
■吉竹洋二(Yoshitake Yoji、1957年7月〜)
プロデューサー。西麻布「トゥールズバー」、青山「アポロ」などを手がける。2007年には「yoji no bar」を開店している。2000年には、桜井鉄太郎主宰レーベルRunt RecordsよりCDシングル「恋のホフク前進」をリリースしている。
■吉田利信(Yoshida Toshinobu)
「ラジオシティ日比谷」などの店長を経て、1991年の「ジュリアナ東京」の立ち上げに関わる。そののち、芝浦「ゴールド」や新木場「アゲハ/スタジオ・コースト」にも関わる。
■鷲田欣司
千駄ヶ谷にあったカフェバー「ライズバー」店長。通称、ワシさん、ワッシー。


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