エスケン[S-KEN]/田中唯士[TANAKA TADASHI]

 エスケンこと田中唯士は、常に東京の最先端の音楽シーンに関わりつづける、シーンにおける最重要人物のひとり。


年表(1990年まで) 

出来事(※原則的に1985年までの"S-KEN"とはバンド名、1986年以降の"S-KEN"とは田中唯士として記しています。) 関連項目
1970年まで S-KENこと田中唯士、東京品川に生まれ育つ(生年月日は非公表)。
大学に進学、電気通信工学を専攻。
卒業後、コンピューター・テクノロジー技師としての仕事に就く。
1966/8/29、財団法人ヤマハ音楽振興会設立。
1969年、ヤマハ音楽振興会が主催する"第1回'69作曲コンクール"(1972年の第4回大会より"ポピュラーソングコンテスト"に改称)開催。
1969年、雑誌『ライトミュージック』(ヤマハ音楽振興会)創刊。
1970年、ヤマハ音楽振興会が主催する第1回"東京国際歌謡音楽祭"(翌1971年の第2回から"世界歌謡祭"に名称変更)が開催される。
1971 作曲を担当した「自由通りの午後」(作詞:松山猛)をコンテストに応募、ポ−ランド音楽祭"ソポト"の日本代表に選抜されるに伴い、ポーランドに渡航、ついでに5ヶ月世界中を周遊。
ピース・シティー(田中唯士(G.,Per.)、増尾元章(G.)、小野山雅夫(G.,B.)、坂本信二(Key.)、佐藤健(B.)、富田英次(Dr,))を結成。シングル「しぶう b/w 僕の愛した雲」(CBS SONY/SONA 86176)をリリース。
近田春夫、ハルヲフォンを結成。
アイ・ジョージ、NHK紅白歌合戦で「自由通りの午後」を披露(12/31)。
1972 ピース・シティー、セカンド・シングル「自由通りの午後 b/w バラの花のあなたに」(CBS SONY)をリリース。
音楽雑誌『ライトミュージック』(ヤマハ音楽振興会)に編集者としてかかわる(1975年まで)。
ヤマハポピュラーソングコンテスト(ポプコン)全国大会で「あなたなら」(作詞・曲・歌)で入賞、「ちっぽけ革命」(作曲・歌) で東京大会優勝。
 
1973   林哲司、デビューアルバム『BRUGES』(ポリドール/MR 5029)リリース(5月)。
増尾元章、デビューアルバム『First』(ポリドール/MR 5035)リリース(10月)。
佐藤健、ファーストアルバム『僕は今ひとり』(ポリドール/MR5036)リリース(11月)。
1974   大橋純子、シングル「鍵はかえして b/w 突然炎の如く」でデビュー(6/5)。
1975 財団法人ヤマハ音楽振興会の特派員として渡米。ロス・アンゼルスやニューヨークで音楽雑誌『ライトミュージック』のライター、世界歌謡祭のコーディネーターとして活動。
制作協力した、細野晴臣のセカンド・アルバム『トロピカル・ダンディ』(クラウン/GW-4012)リリース(6/25)。
フリクションの前身バンド"3/3"が自主制作でアルバム『3/3』(LLX-2309)をリリース(2月)。
1976   スピード結成。
佐藤健が、土屋昌巳らと大橋純子のバックバンド"美乃家セントラル・ステイション"を結成。
1977   3/3のレック、ニューヨークに渡る(3月)。
3/3のチコ・ヒゲ、ニューヨークに渡る(7月)。
ミスター・カイト結成(7月)。
ミラーズ結成(9月)。
山浦正彦、ワーナーパイオニアを退社。
1978 ニューヨークより帰国(ニューヨーク在住中に、レックと知り合う)。
山浦正彦(B.)らとともにロックバンド"S-KEN"を結成(3月)。
渋谷屋根裏'(昼の部)にて"S-KEN"初ライヴ。共演は同じく初ライヴのフリクション(4/15)。
六本木に貸しスタジオ"S-KENスタジオ"を開設、オープニングイベントとして「パンク仕掛け99%」(出演:S-KEN、フリクション、ミラーズ、リザードほか)を開催(5/28)。
東京のロックシーン活性化のために、毎週日曜"S-KENスタジオ"にてシリーズギグ"東京ロッカーズ"を開催(7〜8月)。
S-KENのメンバーが田中唯士(Vo.)/ネズミ(Dr.)/江口勝敏(B.)/増尾元章(G.)の編成に(1978.9〜1979.3)。
レック、チコ・ヒゲ帰国(3月)。
レック、ラピス、チコ・ヒゲの3人でフリクション結成(4月)。
ヒロヒロシ、"ゴジラ・レコード"設立(9月)。
1979 新宿ロフトにて、S-KEN/フリクション/リザード/ミラーズ/ミスター・カイトの5バンドが出演したイベント・ライヴ「実録/Tokyo Rockers '79」開催(3/11)。4/21にはこの日のライヴの模様を収録したオムニバス・ライヴ・アルバム『東京ロッカーズ』(CBS SONY/25AH709)がリリース。(このときの"S-KEN"のメンバー編成は、田中唯士(G.,Vo.)/江口勝敏(B.)/ネズミ(Dr.)/増尾元章(G.)の4人。)
革命家の役で出演した映画『拳銃殺陣師 第一部死闘篇』(泉谷しげる監督・主演)公開(4/1)。
S-KENのメンバーが田中唯士(Vo.)/ネズミ(Dr.)/江口勝敏(B.)/坂本みつわ(Key.)の編成に(1979.04〜1979.12)。
清水寛らにより企画されたライヴ・イベント「DRIVE TO 80'S」が新宿ロフトにて開催。S-KEN/フリクション、アーントサリー/不正療法/HI-ANXIETY/プラスチックス/自殺/ノイズ/フレッシュ/ヒカシュー/Mr. カイト/ザ・スタークラブ/ミラーズ/8 1/2/サイズ/P-MODEL/リザード/マリア023/突然段ボール/ノン/モルグ/BOYS BOYS/螺旋/バナナリアンズが参加。(8/28〜9/2)。
ニューヨーク時代に約1年間撮り溜めた写真をまとめ、渋谷の西武デパートで写真展催。
"S-KENスタジオ"が"マグネットスタジオ"に改称(12月)。
江戸アケミを中心に"じゃがたらお春"結成(3月)。
吉祥寺のレコード店"ジョージア"が"PASSレコード"設立(7月)。
フレッシュ解散(9月)。
ミスター・カイト解散(9月)。
ミラーズ解散(11月)。
窪田晴男らにより人種熱結成。
1980 S-KENのメンバーが田中唯士(Vo.)/ネズミ(Dr.)/江口勝敏(B.)/ヨーコ[猪野陽子](Key.)/デニス(G.)/マキ(G.)の編成に(1980.01-1981.05)。 フリクション、ファーストアルバム『軋轢』(PASS)をリリース(4/21)。
当時S-KENのマネージャーをやっていた建築家の清水寛(シム・コン・カン)を中心に、コンクリーツ結成(6月)。(コンクリーツにはネズミ、ヨーコ[猪野陽子]も参加。)
フリクションから、ツネマツ・マサトシ脱退(12月)。
1981 S-KEN、アルバム『魔都』(日本コロムビア/AF-7054-N)リリース(6/25)。
S-KEN、シングル「サク・サク b/w LIVING TRICKS」(日本コロムビア/AH-77-N)リリース。
S-KENのメンバーが田中唯士(Vo.)/ネズミ(Dr.)/ヨーコ[猪野陽子](Key.)/坂本みつわ(B.)/ハリマオ(Sax.)/安藤篤彦(G.)の編成に(1981.07〜)
地引雄一が"テレグラフ・レコード"を設立、リリース第一弾としてオート・モッドの7"「オート・モッド」(TEL-0001)をリリース(2月)。
坂本みつわ(Organ)/高木完(Vo.)/ブラボー小松(G.)の3人が東京ブラボー結成。
PINKの前身バンド、おピンク兄弟活動開始。
近田春夫&ビブラトーンズ結成。
1982 S-KEN、キング・レコードと契約、アルバムのレコーディングを開始(秋)。 コンクリーツ、7"「コンクリーツ」をリリース(6月)。
ルード・フラワーを前身に、ミュートビート結成(9月)。
1983 S-KEN、アルバム『ギャング・バスターズ』(キング・レコード/K28P 331)をリリース(3/25)。
S-KEN、シングル「恋のバガボンド b/w 気分は殺し屋」(キング・レコード)をリリース。
S-KEN、京都大学西部講堂にて開催された「グレイト・ロックンロール・スウィンドル」に出演(4/29〜5/1)。
新宿ツバキハウスにて「ピンヘッド・パーティー」開催、S-KENのほか、河村要介/チャンス・オペレーションらが出演(6/23)
第1回「東京ニポニーズナイト」を新宿ツバキハウスにて開催、S-KEN/沼田元気/東京ブラボー/遠藤賢司/ブルース・オズボーンが出演(8/31)。以降、「東京ニポニーズナイト」は12/28まで月イチで計5回開催。
渋谷ミドリヤにてマンスリー・イベント「東京感電ネットワーク」、第1回開催(9/18)。
暗黒大陸じゃがたら、ファースト・アルバム『南蛮渡来』(アグリー・オーファン)リリース(5/29)。
パール兄弟が新宿ロフトにてライヴデビュー(8月)。
松竹谷清を中心にトマトス結成。
1984 渋谷西武B1ディスクポートにてトーク・バラエティーショーを開始(9月)。
日本テレビ「TV海賊チャンネル」(1984.10.06〜1986.03.29)に半年間レギュラー出演、コーナー「ET」(EntertainmentTV)を担当し洋楽の最新ビデオクリップを紹介。
レベッカ、シングル「ウェラム・ボートクラブ」でデビュー(4/21)。
東京ブラボー解散。
1985 S-KEN & HOT BOMBOMS結成、メンバーは、エスケン(Vo.)/窪田晴男(G.)/佐野篤(B.)/小田原豊(Dr.)/多田暁(Tp.)/矢代恒彦(Key.)/八尋知洋[ヤヒロトモヒロ](Per.)。
S-KEN & HOT BOMBOMSにて制作したアルバム「JUNGLE・DA」(CBSソニー)をS-KEN名義でリリース。
シングル「感電キング」(CBSソニー)をS-KEN名義でリリース。
小田原豊、レベッカへの参加が正式決定(2/20)。
近田春夫が製作総指揮、手塚眞が監督を手がけ、高木完(高木一裕)と久保田しんごが主演した映画『星くず兄弟の伝説』公開(6/15)。
レベッカ、アルバム『REBECCA IV 〜Maybe tomorrow〜』(バンド初のオリコン1位獲得作)リリース(11/1)。
パール兄弟に、松永俊弥(Dr.)が加入(11月)。
1986 “Tokyo Soy Source”プロジェクト(1986年〜1988年)を始動、第1回目「Tokyo Soy Source」を渋谷ライブインにて開催、S-KEN & HOT BOMBOMS/ミュートビート/じゃがたら/トマトス/藤原ヒロシ/いとうせいこうが出演(9/6)。
「Tokyo Soy Source 2 XMAS EDITION」をインクスティック芝浦にて開催、S-KEN & HOT BOMBOMS/ミュートビート/じゃがたら/トマトス/TINNIE PUNXが出演(12/25)。
S-KEN & HOT BOMBOMSより小田原豊が脱退、後任に松永俊弥が加入。
パール兄弟、1stアルバム『未来はパール』発売(6/25)。
インクスティック芝浦ファクトリー、オープン(12/5)。
コンクリーツの清水寛(シム・コン・カン)が失踪。
1987 S-KEN & HOT BOMBOMS、アルバム『パー・プー・ビー』(ポリドール)リリース(11/25)。 高木完/藤原ヒロシ/屋敷豪太[GOTA]/工藤昌之[K.U.D.O.]/中西俊夫の5人により、日本初のヒップホップ・レーベル"MAJOR FORCE"設立。
1988 S-KEN & HOT BOMBOMS、アルバム『千の眼』(ポリドール)リリース(10/25)。
ルポ&エッセイ単行本『異人都市TOKYO』(シンコー・ミュージック)刊行(11月)。
元ミュートビートの朝本浩文を中心にキャッツ&ドッグス結成(8月)。
PINKよりスティーヴ衛藤脱退。
1989 インクスティック六本木の閉店イベントとして「エスケンのカメレオンナイト Vol.2」開催(7/29〜7/31)。
三宅純とのコラボレーションで2曲参加した、窪田晴男プロデュースのオムニバス・アルバム『東京的 VOL.1』(ミディ/32MD-1054)リリース(10/21)。
S-KEN & HOT BOMBOMS、エスケン(Vo.)/今堀恒雄(G.)/佐野篤(B.)/小田原豊(Dr.)/多田暁(Tp.)/矢代恒彦(Key.)/スティーヴ衛藤(Per.)の編成に。
セッション・ユニット"S-KEN & TRA TRA TRA"結成、今堀恒彦(G.)/窪田晴男(G.)/早川岳晴(B.)/樋沢達彦(B.)/塩谷哲(Key.)/清水一登(Key.)/川島バナナ(Key.)/渡辺貴浩(Key.)/配島邦明(Key.)/大義見元(Per.)/スティーヴ衛藤(Per.)/日比野信午(Sax)/小田原豊(Dr.)/外山明(Dr.)らが参加。
PINK、解散作となるアルバム『RED & BLUE』(アルファ・ムーン)をリリース(2/25)。
いとうせいこう、アルバム『MESS/AGE』を限定5000枚リリース(7月)。
1990 レコーディングに参加したマーティン・デニーのアルバム『エキゾチカ90』(東芝EMI/TOCP 6160)リリース(5/23)。S-KENのほかに、近田春夫/青木達之(東京スカパラダイスオーケストラ)/河村要助/藤原ヒロシ/工藤昌之/高木完/中西俊夫/田中哲弘/八木康夫/川勝正幸/鈴木惣一郎/桑原茂一/井出靖/和田博巳/あがた森魚/小西康陽/ホッピー神山/井沢豊/いとうせいこう/押切伸一/ヤン富田が参加。
『魔都』日本コロムビアよりCD化(COCA-6893)再発(10/21)。
S-KEN & HOT BOMBOMS、アルバム『セブン・エネミーズ』(ポリドール)リリース(11/25)。
雑誌『any』でエッセイ「異人都市快楽」連載開始。
江戸アケミ(JAGATARA)溺死(1/27)。

 


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