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-関西サブカルチャー辞典-

このページでは、関西のサブカルチャー、サブカルっぽい事象についての用語について端的に解説いたします。御意見、御指摘、御情報の提供などはお気軽に、オクダケンゴまでおねがいします。

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ロックファイル関西二十世紀 / 関西ロック年表 / NSC対応表 / オールザッツ漫才」出場早見表 (1992年/第3回〜) / 大阪吉本/大阪NSC関連グループ年表 (1982年〜)

  1947/S22 京都市中央区にイノダコーヒの第1号のコーヒーショップが開店(8月)。
1950/S25 京都市中央区に喫茶店、六曜社珈琲店が開店
。 
1959
/S34
花登筺脚本、テレビ番組『番頭はんと丁稚どん』(毎日)放送開始(3/9〜1961年12月)。
うめだ花月劇場開場と同時に"吉本ヴァラエティ"(のちの"吉本新喜劇")発足(3/31)。
花登筺脚本、テレビ番組『とんま天狗』(読売)放送開始(9/2)。
1960
/S35
邦画ロードショー館として、京一会館が営業開始。
1961
/S36
香川登志緒脚本、澤田隆治演出、中田ダイマル・ラケット主演、テレビ番組『スチャラカ社員』(大阪朝日放送)放送開始(〜1967年)。
1962
/S37
 
1963
/S38
 
1964
/S39
宮脇修、大阪府守口市に海洋堂をオープン(4/1)。
1965
/S40
京都にて、加藤ヒロシが"ザ・リンド"(のちの"リンド&リンダーズ")結成(8月)。
京都にて、加藤和彦、北山修らにより"フォーク・クルセダーズ"結成。
京都にて、"ザ・タイガース"の母体バンド"サリーとプレイボーイズ"結成。
1966
/S41
ラジオ番組『ヤングリクエスト』(朝日)放送開始(4月)。
京都で、端田宣彦のいたドゥーディー・ランブラーズとフォーク・クルセダーズが呼びかけ人となり、学生フォークの活動団体A.F.L.が発足(5月)
ラジオ関西で『ミッドナイト・フォーク』放送開始(11月)。
横山やすし・西川きよしが漫才コンビ結成。
1967
/S42
福岡風太、天王寺野外音楽堂にてトBe-In.LOVE ROCKを開催(4月)。
1965年に中川イサト、藤原秀子らによって結成されたザ・ウィンストンズを母体に、西岡たかしが加入し"五つの赤い風船"始動(4月)。
第1回関西フォーク・キャンプ開催、高石友也、フォーク・クルセダーズ、中川五郎、真崎義博らが参加(7/29-7/30)。
ミニコミ新聞『かわら版』発刊、片桐ユズル。小倉エージ、中川五郎らが執筆(8月)。
大阪で、秦政明を社長に、高石友也のプロダクション、高石事務所が開設(9月)。
ラジオ番組『ヤングタウン』(毎日)放送開始(10/2)。
京都で、水谷孝を中心に裸のラリーズ結成(11月)。
フォーク・クルセダーズ、自主制作アルバム『ハレンチ』収録の「帰ってきたヨッパライ」がラジオ関西の電リクでオンエア(11/8)をきっかけに大ヒット。12月25日「帰ってきたヨッパライ」で東芝よりメジャー・デビュー。
1968
/S43
東芝、フォーク・クルセザーズの2枚目のシングルに予定されていた「イムジン河」の発売中止を発表(2/19)。
神戸のアメリカンスクールの学生達によって1965年頃結成されたヤングビーツを前身として、ヘルプフル・ソウル活動開始(3月)。
"フォーク・クルセダーズ"、東芝より日本初のコンセプトアルバム『紀元貮阡年』を発表(7/10)。
"フォーク・クルセダーズ"、解散(10月)。
横山ノック、参議院議員に。
1969
/S44
2月に高石事務所がURCレコードを大阪で発足、2月末に第1回会員配布。
五つの赤い風船から中川イサトが脱退(3月)。
高石事務所あんぐら音楽祭主催。大阪公演(3/20〜4/2)、東京公演(3/26〜4/2)。
神戸の"ヘルプフル・ソウル"、アルバム『ソウルの追求』でデビュー(4月)。
京都大学A号館地下にて、"京都大学バリ祭 バリケード・ア・ゴー・ゴー"開催され、裸のラリーズ、高石友也、若松孝二ら出演(4月)。
テレビ番組『ヤングおーおー!』(毎日)放送開始(7月)。
ヘルプフル・ソウル解散(夏)。
URCが会員組織のレコード・クラブからURCレコードとして市販に転換。その第1回新譜として、岡林信康『わたしを断罪せよ』と五つの赤い風船『おとぎばなし』の2枚のアルバムをリリース(8/1)。
おおつかまさじ、石村洋子の二人により、喫茶店
ディラン難波元町に開店(8/15)。
京都初のロック喫茶
MAP開店(9月)。
五つの赤い風船に東祥高が加入。
京都で山口冨士夫とチャー坊(柴田和志)を中心に村八分が結成される。
1970
/S45
高石事務所が音楽舎と社名変更(1/1)。
大阪で万国博覧会が開催(3/14-9/13)。
テレビ番組『細うで繁盛記』(読売)放送開始(1/8〜1971年4月)。
長戸大幸がニューロックグループFeedback結成(3月)。
"ウェスト・ロード"("ウェスト・ロード・ブルース・バンド"の前身)結成(5月)。
福岡風太、京都円山音楽堂にてフリー・コンサート感電祭を開催(10月)。
喫茶店、ループ開店、アメリカ村を形成する起点のひとつとなる。
元ヘルプフル・ソウルのジョニ・ラッシュと小川勉が新しいリズム隊を加え、トゥー・マッチを結成。
京都初の本格ロック喫茶として賁が開店。
1971
/S46
京都大学西部講堂にて、第1回MOJO WEST開催、PYGのデビューアクトとなる(3/10)。
天王寺野外音楽堂にて第1回春一番コンサートが行われ、西岡たかし、高田渡、中川五郎、金延幸子、グラス・ブレイン、ジプシー・ブラッドらが出演、約3000人の聴衆を集める(5/6)。
プレイガイド・ジャーナル』創刊。
北京一京二結成。
大阪で桑名正博らによりロックバンド、ファニー・カンパニー結成。
京都にてオルガンの隣雅夫とヴォーカル&ベースのひろしNa(のちニプリッツ,ポートカス)を中心に"だててんりゅう"結成。
1972
/S47
ザ・ディランUがURCより『きのうの思い出に別れをつげるんだもの』を発表(4/10)。
西岡恭蔵、アルバム『ディランにて』発表(7/25)。
"五つの赤い風船"解散(8/31)。
笑福亭鶴瓶、笑福亭松鶴に入門。
毎日放送テレビ『ヤングおーおー!』中で月亭八方、桂きん枝、桂文珍、林家小染の4人の落語家によるユニット、ザ・パンダが結成。
大阪市北区中津にアジアンカフェ"カンテ・グランデ"がオープン。
京都にてウェスト・ロード・ブルース・バンド結成。
ロック喫茶、賁が閉店。
1973
/S48
日本最古のライヴハウス拾得が京都で創業(2/18)。
村八分がエレックより、この年の5月5日に京都大学西部講堂で行った実質的なラストライヴの模様を収めたライヴ盤『ライブ村八分』を発表(6/25)。
ロックバンド、スターキングデリシャス結成。
ヤマハ主催による関西地区最大のアマチュア・コンテスト第1回
8・8ロックデイがびわ湖バレイで開催(8/8)。
花登筺脚本、テレビ番組『どてらい男』(関西)放送開始(10月〜1977年3月)。
ファニー・カンパニーのドラムスに元エムの西哲也が正式加入。
1974
/S49
上田正樹とSOUTH TO SOUTH活動開始(初頭)。
ザ・ディランU、西岡恭蔵らが参加したコラボレーションアルバム、オリジナル・ザ・ディラン『悲しみの街』として発表(4/25)。
豊田勇造/長野隆『豊田勇造長野隆ライヴ』がエレックより発表(8/10)。
URCレコードが自主配給を中止、エレックに委託販売に(12月)。
ファニー・カンパニー解散。
明石家さんま、笑福亭松之助に弟子入り。
1975
/S50
ウェスト・ロード・ブルース・バンドがデビューアルバム『ブルース・パワー』を発表(4/1)。
ディランIIがライヴ・アルバム『時は過ぎて』を発表し解散(5/10)。
上田正樹と有山淳司『ぼちぼちいこか』発表(6/1)。
ソー・バッド・レヴュー活動開始(12月)。
上田正樹とサウス・トゥ・サウスがライヴ録音にして唯一のアルバム『この熱い魂を伝えたいんや』を発表(12/15)。
京都市左京区にライヴハウス、サーカス・サーカスが開店。
漫才コンビ、オール阪神巨人が結成。
京都で、藤井康宏と谷本操を中心にシスターM結成。
春やすこ[三橋泰子]と春けいこ[小林恵子]、お笑いコンビ、春やすこ・けいこを結成。
1976
/S51
上田正樹とサウス・トゥ・サウス活動停止(夏)。
滋賀県大津市にて
誰がカバやねんロックンロールショー結成(9月)。
ソー・バッド・レヴュー活動停止(11月)。
『ガロ』誌上に、「パースペクティブキッド」を発表し、
ひさうちみちおが漫画家デビュー。
京都大学で学内劇団"卒塔婆小町"(のちの"そとばこまち")発足。
阿木譲が音楽雑誌『ロック・マガジン』を創刊。
漫才コンビ太平サブロー・シロー結成。
1977
/S52
秋田実死去(10/27)。
神戸にて、小西健司と泉陸奥彦によるエレクトロニクスユニットDADA活動開始(暮れ)。
スターキングデリシャス解散。
KYON(川上恭生)らにより、絶倫天狗が結成。
エル・マガジン』創刊。
テレビ演芸番組『お笑いネットワーク』(読売)放送開始。
落語家ユニット、ザ・パンダが解散。
元五つの赤い風船の東祥高、大阪に音楽制作アトリエ(のちのTONスタジオ)をつくる。
1978
/S53
阿木譲が自主レーベルヴァニティ・レコード創立(春)。
ラジオ番組『
ぬかるみの世界』(ラジオ大阪)放送開始(4/9)。
Phewらによりアーント・サリー結成(6月)。
阿木譲のヴァニティ・レコードが、DADAのアルバム『浄』でリリース開始(7/1)。
林直人、関西初のパンク系ミニコミ『アウトサイダー』創刊(秋)。
京都初のパンクバンドSS結成され、10月10日には京都大学西部講堂で行われた関西初のパンクイヴェントブランク・ジェネレーションでデビュー。
町田町蔵[町田康](Vo.)を中心に、林直人(G.)、田中オショウ敬介(B.)、西森武史[西森タケル](Dr.)によりパンクバンド、INU結成(年末)。
京都に
バンヒロシがロックバー、万歳倶楽部を開店(1982年閉店)。
アメリカ村の拠点的存在"パームス"開店。
大阪ミナミにディスコ"ポイントアフター"開店(1983年閉店)。
京都で本田久作を中心に変身キリン結成。
京都で藤原英則[BIDE]を中心に、JOJO広重、 渡邊浩一郎[コーイチロー]、タイキ[Taiqui]によりパンクバンド"ウルトラ・ビデ"結成。
京都でジャマイカ結成。
京都大学軽音楽部にて阿頼耶歩を中心に六面鏡が結成される。
三上雅彦と松村正秀がアコースティックユニットゴンザレス三上とチチ松村(のちの
ゴンチチ)結成。
1979
/S54
INUが京都サーカス&サーカスでライヴ・デビュー(3/15)。
INUから林直人(G.)が脱退(3月末頃)。
INUに小間慶太(G.)が加入(4月)。
アーント・サリーがヴァニティから唯一のアルバム『アーント・サリー』発表(5月)。
INUから田中オショウ敬介(B.)脱退(5月)。
INUに元ブランク・ジェネレーションの西川成子(B.)が加入。
INUから西森武史[西森タケル](Dr.)脱退(6月)。
INUに元アルコール42%の北川裕史(Dr.)が加入。
絶倫天狗がDOCTORに改名(7月)。
京都にて、元ウルトラ・ビデのJOJO広重が、螺旋階段で活動を共にしていた頭士奈生樹とノイズユニット非常階段結成(7月?/9月?)。
INUから小間慶太(G.)が脱退(8月)。
INUに元変身キリンの北田昌宏(G.)が加入。
アーント・サリー解散(10月)。同年にメンバーの丸山孝、中岡政雄がノー・コメンツを結成。
六面鏡がスーパーミルクと改名(秋)。
INUから北川裕史(Dr.)が脱退(10月)。
Wヤングの中田治雄が失踪、自殺(10/25)。
テレビ番組『花王名人劇場』(関西)放送開始(10月)。
INUに東浦真一(Dr.)が加入。
京都で和田良一[WADAH](G.,Vo.)、バーシ[BASHI](Dr.)らにより
バンパイヤ!結成。
腐れおめこ時代からINUのドラマーだった西森タケル(西森武史)を中心に、UP-MAKER結成。
シェラザードと山水館が合体しノヴェラ結成。
滋賀で森下太郎らにより、
ほぶらきん結成。
大西浩仁と富好真がお笑いコンビ、ちゃらんぽらんを結成。
大阪アメリカ村・広瀬ビルに大阪初の中古レコード専門店キングコング開店。
京都で
バンヒロシらにより、スマッシュヒッツ結成。
1980
/S55
町田町蔵が、自身のバンドINUをはじめ、ウルトラ・ビデ、アルコール42%、変身キリン、チャイニーズクラブら関西の5バンドをコンパイルした『どっきりレコード』を町田自身のレーベル必要レコード社からリリース(2月)。
アーント・サリー、当時YMOの坂本龍一のバッキング、プロデュースによるシングル「終曲/うらはら」を発表(4月)。
元INUのギタリストの林直人が設立したアンバランスレコードがYOUのEP「OUT」からリリース開始(6月)
京都のディスコ、クラブ・モダーンの常連らによって
EP-4結成(6月)。
神戸にライヴハウス(オープン当初はレストラン)、チキンジョージ開店(9月)。
内藤裕敬らにより南河内万歳一座旗揚げ(10月)。
いのうえひでのりらにより
劇団☆新感線旗揚げ(11月)。
京都でロックバンド、ノー・コメンツがビクターからデビュー(12月)。
林直人を中心に大阪でアウシュビッツが結成。
螺旋階段の高山謙一と頭士奈生樹の2人でリラダンズ(のちイディオット・オクロックに改名)結成。
北野誠と東野博昭が漫才コンビ、まこと&がっしゃん結成。
漫画雑誌『
漫金超』創刊。
京都にて舞踏集団の白虎社が結成。
1981
/S56
ザ・ぼんち、シングル「恋のぼんちシート」(近田春夫作詞作曲、鈴木慶一編曲)をリリース(1/1)。
元SSの篠田純と磯野隆を中心にコンチネンタル・キッズ結成(初頭)。
INUが『メシ食うな!』でメジャーデビュー(3/1)。
フュージョンバンド、スパングルのチャカこと安則眞美(のちPSY・S)とチョップ丸本が中心となって結成されたファンクバンド、アフリカが京都拾得でライヴデビュー(4月)。
兵庫県西宮市の自主制作レーベル
かげろうレコードが、ヴィオラ・リネアとハレイションズのカップリングソノシートからリリース開始(5月)。
京都にて、ラン子、シノヤン(篠田純)、ビデ(藤原英則)、イディオット(高山謙一)を中心に企画団体、ビート・クレイジーが組織される(6月)。
井筒和幸監督、島田紳助・松本竜介主演、映画『ガキ帝国』公開(7/4)。
INU解散(8月)
第20回SF大会が大阪森之宮で開催、大阪では3回目の開催でDAICON3と呼ばれ、「DAICON3オープニングアニメ」を手掛けた有志により、ダイコンフィルムが誕生(夏)。
新京極詩の小路ビル3階にカフフェバー
dee-Bee'sが開店(11月)。
大阪にてパンクバンド、ラフィンノーズが結成(12月)。
京都の山野姉妹らにより、少年ナイフ結成(12月)。
ノーコメンツからKEN山崎と野田たつやが脱退。
桂文珍が、東祥高のサポートでシンセサイザー落語を行う(同1981年、『落語現在派宣言』としてレコードリリースも)。
ポートピア博開催。
京都で女性ファンクデュオ、ファンカチェリー結成。
EP-4の好機タツオがリゾームを改名・発展させ、MEMEでの活動開始。
1982
/S57
漫才師、人生幸朗死去(3/4)。
スーパーミルク消滅(春)。
よしもと総合芸能学院
NSC開校(4月)。
松本人志と浜田雅功によりお笑いコンビ、ダウンタウン結成(4月)。
京都の自主制作レーベル
ゼロ・レコードが、変身キリンの17cmEP「8月4日に」でリリース開始(5月)。
神戸にて4-D結成(10月)。
元INUの町田町蔵が、元INUの東浦真一[普金太郎]、元アーント・サリーのビッケらと、ふなを始動(10月)。
テレビ番組『突然ガバチョ』(毎日)放送開始(10/5)。
アンバランス・レコードが閉社(秋)。
リンゴ(西村美紀)とモモコ(松井さとり)が、お笑いコンビ、ハイヒールを結成(11/1)。
元ノーコメンツのKEN山崎と野田たつやらにより結成された
ノンカテリアンズ活動開始。
ビート・クレイジーに
バンパイヤ!が加盟。
京都で、チルドレンクーデターが活動開始。
YOSU-KOとNAOKIを中心にパンクバンド、コブラ結成。
OUTO活動開始。
チャセン丸(Dr.)、林美香(Vo.,G.)、HIKKO(B.,Vo.)の3人組ロックバンドOXZがライヴ・デビュー。
中島らもが雑誌『宝島』誌上で、かねてつ広告「啓蒙かまぼこ新聞」連載開始。
大阪日本橋にレコード屋、フォーエヴァーが開店。
1983
/S58
京都にてロックバンド、ローザ・ルクセンブルグ結成(3月)。
EP-4が5月21日の一日で京都、名古屋、東京の3会場でライヴを行う。この告知のため都内のあちらこちらに5・21EP-4とだけ書かれたステッカーが貼られ社会問題に。
大阪の兼業アコースティックデュオゴンザレス三上とチチ松村(のち
ゴンチチ)がポリスターよりファーストアルバム『アナザー・ムード』発表(7月)。
京都にて、
赤痢結成(8/1)。
磯部公彦と東村雅夫が漫才コンビ、まるむし商店、結成(8/1)。
テレビ番組『夜はクネクネ』(毎日)放送開始(1/7)。
お色気テレビ番組『おとなの子守唄』(サンテレビ)放送開始(10月)。
作家、
花登筺肺がんで死去(10/3)。
ラフィン・ノーズが自らのレーベル、AAレコード設立(12月)。
「NHKヤング・ミュージック・フェスティヴァル全国大会」でローザ・ルクセンブルグが金賞を獲得(暮れ)。
漫画雑誌『
漫金超』休刊。
大阪でハナタラシ結成。
大阪教育大学の軽音楽部内にて餃子大王結成。
BCレモンズ活動開始。
ラフィン・ノーズにハードコアバンドなし[NASHI]のポンが加入。
1984
/S59
落語家、林家小染、交通事故死(1/31)。
鮫肌文殊が雑誌『ビックリハウス』でエンピツ賞を受賞(2月)。
元INUで当時UP-MAKERの西森タケル[西森武史]が事故死(4/26)
JOJO広重と林直人がアルケミー・レコードを設立(6月)。
五所光一郎が京都発のタウン誌『ClubFame』(現『月刊京都CF!』)を創刊(8月)。
アルケミー・レコード、ウルトラ・ビデのライヴ・アンソロジー『オリジナル・ウルトラ・ビデ』からリリース開始(8月)。
AAが日本のパンクバンドを集めたオムニバス『ハードコア不法集会』を発表(8月)。
大阪花園町にライヴハウス、エッグプラントが開店(10月)。
ビート・クレイジー・レーベルが発足(11月)、第一弾としてコンチネンタル・キッズのファーストシングル「ちくしょう/ジョニー・ガン」をリリース
伊丹英子を中心にロックバンド、メ”スカリン・ドライヴ”結成(12月)。
バンヒロシが「バンちゃんとロック」をリリース。
林幸治郎がちんどん通信社を旗揚げ。
マキノノゾミにより劇団M.O.P.旗揚げ。
京都にて
ダム・タイプ結成。
岩本圭介、阪井隆史らにより”ディレクション・ファインダーズ”結成。
NAOKIが”コブラ”から脱退。
リーダー隣雅夫の意向により、"だててんりゅう"活動休止。
1985
/S60
山口組竹中組長射殺事件(1月)。
ミヤコ[吉崎勢津子]とシルク[粕谷文子]が、お笑いコンビ非常階段結成(1月)。
扇町ミュージアムスクエアがオープン(3/30)。
新京極のカフフェバー
dee-Bee'sが閉店(3月)。
今尾ハヲ[今尾サチコ]と余田チンネン[余田アキヨシ]を中心にビスケットホリック結成(3月)。
大阪で、ペーター林とカジヤマチエコ[チャカ・カジヤマ]によりペーターズ結成(4月)。
松浦雅也と安則まみ(元アフリカ)による大阪発のエレポップユニットPSY・S(”プレイステックス”より改名)、アルバム『ディファレント・ヴュー』でデビュー(5/21)。
福本タダシらにより、VideGramが設立される(5月)。
豊田商事永野一男会長が自宅で刺殺される(6/18)。
大阪にて、長上鋭司[キング・パノピカ]を中心にミンカパノピカ結成(夏)。
DOCTORが活動停止、KYON(川上恭生)が
バンパイヤ!にベースで加入(夏)。
電動マリオネットの森田が設立したレーベルナイト・ギャラリーがアウシュビッツのEP『TOO LATE』を皮切りにリリースを開始(8月)。
阿木譲が『EGO』創刊(8月)。
阪神タイガース21年ぶりのリーグ優勝(10月)。
阪神タイガース球団創立初の日本一に(11月)。
近鉄劇場、近鉄小劇場オープン(10月)。
中川敬らによりニューエスト・モデル結成(12月)。
扇町ミュージアムスクエアにて、南海ホークウインドがライヴを決行(12/15)。
ダイコンフィルムの主力メンバーによりガイナックス設立。
紳助・竜介コンビ解消。
アマリリス安田謙一を中心にタマス&ポチス結成。
ポンポンダリア結成。
ディレクション・ファインダーズが
D'fに改名。
デボネア結成。
大阪にてテクノポップユニット、モノグラム結成。
ゼロ・レコードが新レーベルTOYPICKを設立。
メスカリンドライヴのドラマーにテンコが加入。
演劇ユニット
売名行為結成。
1986
/S61
バンパイヤ!からKYON(川上恭生)が脱退(1/15)。
宝島キャプテンレコードから、コンチネンタル・キッズ、
赤痢コックニーコックス、ボーンズ、ストリッパー、スペルマらビート・クレイジー所属の6バンドの音源をあつめたオムニバスアルバム『ウィ・アー・ビート・クレイジー』がリリース(1月)。
木村祐一と栩野進がお笑いコンビ、オールディーズ結成(3/1)。
山塚アイらにより、大阪でボアダムス結成(春)。
心斎橋筋2丁目劇場オープン(5/1)。
黒百合姉妹が結成(5月)。
テンコの後継ドラマーとして、メスカリンドライヴに井上実香が加入(5月下旬)。
内門洋ら、大阪芸術大学の学生らによってフォークテイルズ結成(6月)。
ヒロ[吉田弘典]と岩瀬雄大が、お笑いコンビ、ボブ・キャッツを結成(6/1)。
NSC4期生の板尾創路と蔵野孝洋[ホンコン]がお笑いコンビ、130Rを結成(6/1)。
水野透と藤原光博が、お笑いコンビ
リットン調査団結成(6/1)。
落語家、笑福亭松鶴死去(9/5)。
水銀ヒステリア結成(12月)。
森島映らにより、京都にて、"Bad Stuff[バッド・スタッフ]"結成(12月)。
ボアダムズに
山本精一が加入。
ビート・クレイジー所属だった赤痢がアルケミー・レコードに移籍。
ランブラーズ結成。
ヴァンパイヤにマリコ・ザ・ライオン(B.)が加入。
松蔭浩之、谷崎テトラ、吉田ヤスシらによりインダストリアル・ヒップホップユニット、P.B.C.結成。
岡地明が在籍した京都のブルースバンド、ブレイクダウン活動停止。
京都市東山区にクラブ"ウーピーズ[WHOOPEE'S]"開店、京都クラブシーンの基礎を築く。
中島らもわかぎえふにより劇団リリパット・アーミー結成。
西川きよし、参議院議員に。
大阪にてTOTTSUAN[鈴木義智](Vo.)を中心にS.O.B.結成。
bikkeを中心に"積極的な考え方の力"結成。
1987
/S62
宝島キャプテンレコードからEP-4SCHWARZ、TRICKSTER、JUNK JUNGLE GENREの4バンドの音源を収録したオムニバスアルバム『KYOTO NIGHT』がリリース(4/25)。
テレビ番組『4時ですよ〜だ!』(毎日)放送開始(4月)。
テレビ番組『鶴瓶・上岡パペポTV』(読売)放送開始(4月)。
小谷哲也、中津にスタジオ“オメガ・サウンド”を開設(春)。
ラガッツィ結成(6月)。
ローザ・ルクセンブルグ解散(8月)。
大阪で、カキノキ、フジワラ、オカノの3人によりサバートブレーズ結成(8月)。
マニッシュ・トーン結成(8月)。
ヤスウミ・ヨシエ、シマダ・イズミらによりCCライヤー結成(夏)。
ローザ・ルクセンブルグの久富"どんと"隆司と永井"TOSHI"利充の2人に加え、元ブレイクダウンの岡地明、元ドクターの川上"KYON"恭生の4人がロックバンド、ボ・ガンボスを始動(9月)。
山本精一津山篤を中心に、想い出波止場が結成(10月)。
PSY[雑賀](Vo.)、HIRONO(G.)、S.O.B.のNAOTO(B.)、オフマスク00のAKII[秋井仁](Dr.)によりK.G.G.M.結成(10月)。
宝島キャプテンレコードから、UNIT4、ハープシコード、HYSTERICS、ANDY AND HIS FIRECRACKERS、MEMEの5バンドの音源を収録したオムニバスアルバム『
KYOTO NIGHT -FUN KALTER NATIVE-』がリリース(秋)。
鎌田の後継ベーシストとしてメスカリンドライヴに浅野不二子が加入(12月中旬)。
ヒラを中心に大阪で、花電車が結成。
コンチネンタル・キッズにAKIRAが加入。
吉川豊人を中心にロックバンド、ゴングダービー結成。
大阪でRIOTの猪辺と村元を中心にロックバンド、グリフィン結成。
大阪府堺市でペタを中心にロックバンド、ガーリックボーイズ結成。
ロックバンド、ストリートギャング・レイプス(のちのレイプス)結成。
上海太郎、
そとばこまち3代目座長に就任。
大阪の
松本亀吉ミニコミ『溺死ジャーナル』創刊。
ガイナックス製作のアニメ映画『王立宇宙軍オネアミスの翼』公開。
1988
/S63
ガンジー石原が『コミック・ジャングル』1号を発行(1月)。
テレビ番組『探偵!ナイトスクープ』(朝日)放送開始(3月)。
ヘルライザーが結成(3月)。
ラジオ番組『MAKOTOのサイキック青年団(のち
誠のサイキック青年団)』(朝日)放送開始(4/3)。
D'f解散(春)。
アジアンカフェカンテ・グランデのアルバイト仲間だった、トータス松本[松本敦]、元
D'fのウルフルケイスケ[岩本圭介]のセッションを発端に、ウルフルズが結成(4月)。
NSC7期生の宮迫博之と蛍原徹がお笑いコンビ、雨上がり決死隊を結成(10月)。
メスカリンドライヴのベーシストの浅野不二子脱退(10月下旬)。
メスカリンドライヴのドラマーの井上実香脱退(11月上旬)。
シャッターズ、乱、QPのメンバーが集結し、シャ乱Qが結成(12月)。
元UP-MAKERで当時オフマスク00のタガミ[田上佳介]が死去。
沖野修也、京都でDJをはじめる。
上海太郎が
そとばこまちを退団
安田謙一が『3ちゃんロック』を創刊。
山本精一を中心にロックバンド、羅針盤が結成。
竹村延和が、
山塚アイのラップユニットオーディオスポーツに加入。
サイド・ディッシュ結成。
チューニィらにより、KUKU結成。
1989
/S64
-H01
元メスカリンドライヴの浅野不二子と井上実香、元OXZのチャセン丸と林美香の、4人によってプレイメイトが結成(春)。
モダンチョキチョキズ活動開始(3月)。
FM802開局(6月)。
NSC8期生の千原靖史(兄)とJr.(ジュニア)こと千原浩史(弟)がお笑いコンビ、千原兄弟結成(6月)。
S.O.B.からNAOTOが脱退(夏)。
プレイメイトからチャセン丸が脱退し、元メスカリンドライヴのテンコ[典子]が加入(夏)。
NSC8期生の灘儀武と松村博司がお笑いコンビ、スミス夫人結成(8月)。
ラジオ番組『
ぬかるみの世界』放送終了(10/1)。
NSC8期生の木村明浩と竹若元博が、お笑いコンビバッファロー吾郎結成(10月)。
OUTO解散(秋)。
元OUTOのMICHUNG(Dr.)のMOTSU(G.)2人、元S.O.B.のNAOTO(Vo.)、らによりRISE FROM THE DEAD結成(11月)。
店ごと破壊してもいいという条件で、レイプス階段+横山SAKEVIによるエッグプラント閉店ギグが行われる(12/25)。
そとばこまちの座長である上海太郎が上海太郎舞踏公司を大阪で創立。
演劇集団
惑星ピスタチオ結成。
土田英生ら、立命館大学のOBを中心に演劇集団"B級プラクティス"(1991年にMONOに改称)結成。
花形文化通信』創刊。
阪本順治監督、赤井英和主演、映画『どついたるねん』公開。
NSC8期生の藤本敏史と原西孝幸がお笑いコンビ、FUJIWARAを結成。
イタクラミネコ、ナカオミネ、マンドレイク・ヨウコの3人でエンジェリン・ヘヴィ・シロップ結成。
京都で全力オナニーズ活動開始。
漫才コンビ、ザ・ぼんち解散。
1990
/H02
『ハナコ』の関西版『ハナコ ウエスト』(マガジンハウス)創刊(1月)。
『コミック・ジャングル』2号発行(1月)。
シャ乱Q、カメレオン、ラズマタズ、ボニーダック、リトルボーイら大阪城付近でライヴ活動をするバンド群がすっぽんファミリーを組織(春)。
NSC9期生の岡村隆史と矢部浩之が、お笑いコンビ、ナインティナイン結成(4月)。
京都市左京区にクラブ"メトロ[METRO]"開店(4月)。
テント山本精一のプロデュースでシングル「わらびもち」をリリース(4月)。
ランブラーズ解散。同1990年春にはその発展バンド、ヰタ・セクスアリスが結成される。
漫才コンビ、オールディーズの栩野進が児童福祉法違反の容疑で逮捕される(9/7)。
テレビ番組『
オールザッツ漫才』(毎日)放送開始。
今田賢一と青野竜二を中心にロックバンド、ラフィアンズ結成。
ブル・ザ・ドウグスを母体にオーセンティック・スカ・バンドの、
デタミネーションズ結成。
奈良県の高校の同級生であった栗原淳と久保和美がネオアコースティックユニット、
ネロリーズを結成。
吉村うみぼうずの
吉村智樹フォークテイルズの内門洋ランブラーズのフィリップ君の3人で、それはヒミッツ結成。
元ウルトラビデの渡邊浩一郎が死去。
保山宗明王が
モダンチョキチョキズに加入。
西心斎橋アメリカ村雑居ビル2階にレコード店、タイム・ボム開店。
1991
/H03
K.G.G.M.解散(1/15)。
吉本興業会長の林正之助が死去(4/24)。
フリーペーパー『強力セッポンナー』創刊(初秋)。
NSC10期生の渡辺鐘と山下栄緑が、お笑いコンビジャリズム結成(11月)。
嶋津江英樹、福田正修、博多ヒト志、北田委資の4人がお笑いユニット、電車道を結成(12月)。
コンチネンタル・キッズ解散。
同志社大学在学中の市原大資を中心にボンタリング・ボンズ結成。
サキタハジメがちんどん通信社に入門。
演劇ユニット
売名行為解散。メンバーの升毅牧野エミらにより演劇ユニットMOTHER結成。
演劇集団"B級プラクティス"が"MONO"に改称。
砂場の濱田マリがモダンチョキチョキズに加入。
積極的な考え方の力、解散。
エビス・インダストリー大阪で操業開始。
1992
/H04
京都市下京区仏光寺新町西入菅大臣町のマンションの一室にてレコード屋、パララックスレコード開店(1月)。
久馬歩(現・おーい!久馬)と後藤秀樹がお笑いコンビ、シェイクダウンを結成(3月)。
NSC11期生の松口祐樹と小林友治(現・ケンドーコバヤシ)がお笑いコンビ、松口VS小林を結成(3月)。
NSC11期生の陣内智則と西口圭がお笑いコンビ、リミテッドを結成(4月)。
NSC11期生の中川剛(兄)と中川礼二(弟)の兄弟が、お笑いコンビ、中川家を結成(4/1)。
ザコシショウ[中沢滋紀]とドブシショウ(のちに静岡茶っぱ)[浅井和仁]がお笑いコンビ、G☆MENSを結成(4月)。
高僧美喜と野々村友紀子が、お笑いコンビ、高僧・野々村を結成(4月)。
テレビ番組『テレビのツボ』(毎日)放送開始(10/5)。
長谷部信子が
モダンチョキチョキズ加入。
竹村延和がスピリチュアル・ヴァイブスを結成。
京都にて、田中知之、松山禎弘らにより選曲家ユニット、サウンド・インポッシブルが結成。
1993
/H05
田中フミヤ、自らのレーベル、とれまをスタート(3月)。
朝日放送にてラジオ番組『ABCアシッド映画館』放送開始(4月)。
ガンジー石原、音楽雑誌『G-スコープ』創刊(4月)。
NSC12期生の森詩津規と鈴木司が、お笑いコンビシンドバット結成(4月)。
ロックバンド、アウシュビッツが解散(6月)。
ニューエスト・モデルとメスカリン・ドライヴが統合しソウル・フラワー・ユニオン結成(9月)。
ボンタリング・ボンズ解散(10月中旬)。
桂べかこ、桂南光(3代目)を襲名(11月)。
京都でCHAINSが結成。
山本精一、赤武士を結成。
ニシイケタカシを中心にセロファン結成。
フリーペーパー『
ジャングルライフ』創刊。
テレビ番組『爆笑ブーイング!』(関西)放送開始。
増田英彦と岡田圭右が、お笑いコンビ、ますだおかだを結成。
パラダイス・ガラージ(豊田道倫)が難波ベアーズにレギュラーで出演しだす。
キョート・ジャズ・マッシヴから、大沢伸一を中心にしたモンド・グロッソが派生。
福田転球が転球劇場を旗揚げ。
1994
/H06
関西テレビで深夜に特番『精神解放ノ為ノ音楽』放送(2/26)。
放送作家、香川登志緒が死去(3/29)。
"オフマスク00"のボーカルであるMCロックンロールこと秋井仁と、ノイズミュージシャンのMr.ディラックを中心に"サイケアウツ"が結成(春)。
漫才師、鳳啓助が死去(8/8)。
漫才師、海原お浜が死去(9/14)。。
京都で"コケッシーズ"が結成(10月)。
小出水直樹と宮田てつじが、お笑いコンビ、"シャンプーハット"を結成(11/1)
元"村八分"のチャー坊[柴田和志]死去。
大阪でマキマミーを中心にロックバンド、"マミー・ザ・ピープショウ"が結成。
山本精一、アリス・セイラーのデュオ、"ノアノア"を結成。
サウンド・インポッシブルの音源制作ユニットとして、"ファンタスティック・プラスティック・マシーン"結成。
ナベらによりロックバンド"騒音寺"結成。
"ボ・ガンボス"が解散。
"ありぢごく"のギタリストである須原敬三が、ギューン・カセットを始動。
Super!』創刊。
京都にて"イグワナズ"結成。
柳原哲也と平井善之がお笑いコンビ、"アメリカザリガニ"結成。
高橋茂雄と八木真澄が、お笑いコンビ、"サバンナ"を結成。
1995
/H07
関西・淡路地区に超大型地震発生、阪神淡路大震災(1/17)。
増田裕之(
NSC13期生)と、元あっぱれ団の堂土貴(NSC11期生)が、お笑いコンビ、ルート33を結成(5月)。
S.O.B.のTOTTSUAN[鈴木義智]が自殺(6/22)。
フリーペーパー『強力セッポンナー』が事実上の休刊号となる22号を発行(夏)。
ダム・タイプの中心人物であった古橋悌二が死去(10月)。
元松口VS小林の松口祐樹と、元あっぱれ団の大上邦博がお笑いコンビ、ハリガネロックを結成。
お笑いコンビ、リミテッドが解散(以後、陣内智則はソロ活動)。
"パラダイス・ガラージ"(豊田道倫)、タイム・ボムより『ロックンロール1500』を発表しデビュー。
田中潤を中心に"エブリデイフラワーズ"が結成、まもなく"ゲントウキ"に改名。
永江孝志と北村嘉彦のデュオとして"OKミュージックボール"結成。
元"花電車"のQZOが"ドリルマン"結成。
大野雅彦のソロユニットだった2ソルマニア"が大野雅彦と菅原克己の2人ユニットに。
テレビ番組『すんげー!Best10』(朝日)放送)開始。
劇団赤鬼旗揚げ。
1996
/H08
エルマガジン増刊として大阪発の音楽誌『トーキンロック!』創刊(1月)。
漫才師、横山やすし死去(1/21)。
ホリグチツトムがフリーペーパー『montage』創刊(春)。
立命館大学内サークルで、岸田繁らにより、くるり結成(4月)。
京都にて横須賀拓らによりグラフィックデザイン集団"パット・ディテクティブ"が結成され、季刊誌『ポプシーロック』を創刊(4月)。
毎日放送『
オールザッツ漫才』トーナメント戦でシャンプーハットが優勝(12月)。
立命館大学内サークルで小泉大輔を中心に、ママスタジヲ結成。
DJ YOKUを中心に人力ハウスミュージックユニット、A HUNDRED BIRDS(ア・ハンドレッド・バーズ)が結成。
パンク歌手の
町田町蔵が本名の町田康として処女小説『くっすん大黒』を発刊、芥川賞候補に。
能勢浩、吉本英和、加藤統士がお笑いユニット、せんたくばさみを結成。
1997
/H09
くるり、カセットテープ『くるりの一回転』発表(2月)。
大阪ドーム、オープン(3/1)。
新世界にて、フェスティバルゲート開業(7/18)。
京都駅ビルがリニューアル(9月)。
元コンチネンタル・キッズのランコ死去(11/10)。
くるり、ファーストアルバム『もしもし』(バッド・ニュース)発表(11月)。
神戸にてロックバンド、ガガガSP結成(12月)。
田村裕と川島明がお笑いコンビ、麒麟を結成(12月)。
山崎ゆかりを中心に空気公団が結成。
矢野仁志、田鹿祐一、後藤浩之の3人が春にSAMPLING PARTYを結成し京都で活動開始。同年、サンプリングサンに改名。
Ummoレコード設立。
元遊気舎座長で作家・演出家の後藤ひろひとと、世紀末学会主宰の役者・川下大洋の2人で演劇ユニットPiperを結成。
1998
/H10
京都出身の徳井義実と福田充徳がお笑いコンビ、チュートリアルを結成(3月)。
梶本浩司を中心に、西面友樹雄、村尾修一、白澤功洋の4人で、京都大学軽音部にてパルナス結成(4/28)。
くるり、セカンドアルバム『ファンデリア』(バッド・ニュース)発表(5月)。
近畿大学在学中の竹内佑が劇団、デス電所を結成(9月頃)。
くるり、シングル『東京』(ビクターエンタテインメント)でメジャーデビュー(10/21)。
六畳川智人(藤本智人)によるフリーペーパー『ザ・バッグ・マガジン』が11月に創刊準備号を発刊。
お笑いコンビ、ジャリズムが解散(12月)。以後、山下しげのりはソロ活動、渡辺鐘は放送作家として活動。 
神戸にてスクイズメン結成。
Piperが吉本興業所属に。
小林幸太郎と西野恭之介がお笑いコンビ、チョップリンを結成。
1999
/H11
尾望と金重高志によるお笑いコンビ、ドレスが解散(3月)。
心斎橋筋二丁目劇場閉館(3/31)。
戸川昌士が神戸に古本・中古レコード屋ちんき堂を開店(春)。
落京都の辻村兄弟がポップ・ミュージック・ユニット、キセルを結成(4月)。
岩語家、桂枝雀自殺(4/19)。
コケッシーズ解散(5月)。
元エレキグラムの後藤輝基と、元ドレスの岩尾望が、お笑いコンビ、フットボールアワーを結成(5月)。
阿木譲が音楽雑誌『infra』創刊(6月)。
バッファロー吾郎が企画したお笑いイベント「ダイナマイト関西」第1回大会が心斎橋ミューズホールに於いて開催される(6/3)。
ウルフルズよりジョンB.チョッパー(黒田利博)脱退(8月)。
浅越浩志と高山和也によるお笑いコンビ、デモしかし解散(9/17)。
チャンキー松本(松本弘三)と
オカノアキラ(岡野晶)が、33を結成。
金澤を中心にスカバンド、Miceteeth結成。
奈良にてワッツーシゾンビ結成。
大阪で、石井モタコ、迎祐輔を中心にオシリペンペンズ結成。
2000
/H12
大西ユカリと新世界結成(1月)。
どんと死去(1/28)。
小林友治と村越周司によるお笑いコンビ、モストデンジャラスコンビがイベント"モストのこびこびサタディ"において解散(3/4)。以後、小林はケンドーコバヤシとしてソロ活動を開始。
上岡龍太郎が芸能活動から引退(3/31)。
西田幸治(
NSC15期生)と中西哲夫が、お笑いコンビ、笑い飯結成(7月)。
京都で、フカミマドカ[深水円]がインディレーベルcolla discを始動(9月)。
町田康が「きれぎれ」で第123回芥川賞を受賞(秋)。
高校の同級生だった早瀬直久と平良正仁がベベチオ結成(11月)。
ロックバンド、ちぇるしい解散(11/18)。
お笑いコンビ、シェイクダウンが解散(12/31)。
“ZUINOSIN”結成(12/31)。
1998年に同志社大学の演劇サークル、同志社小劇場にて結成されたヨーロッパ企画が劇団として正式独立。
双葉双一、京都拾得を中心に弾き語り活動を開始。
バンヒロシがデジタルロカビリーバンドであるバンビーノを始動。
惑星ピスタチオ解散。
アメリカ村を拠点とするヒップホップユニット“韻踏合組合”結成。
ゑでぃとまぁこんによって“ゑでぃまあこん”結成。
2001
/H13
お笑いコンビ、シンドバットが解散(2/1)。
元シェイクダウンのお〜い!久馬(久馬歩)を中心に、元シンドバットの鈴木つかさ(鈴木司)、元デモしかしの浅越ゴエ(浅越浩志)らにより、コメディ・ユニット、プラン9が結成(4月)。
大阪北堀江に貸本喫茶ちょうちょぼっこ開店(春)。
奈良市公納堂町にカフェ、カナカナが開店(夏)。
蔡忠浩を中心に大阪にて
bonobos結成(8月)。
善行地宗雲が、大学の後輩で、ははの気まぐれリーダーである松尾知生、その実弟松尾法生、そして前田朋昭の4人で京都で ロビンズを結成(8月)。
柳谷学と藪田真宏によるお笑いコンビ、君と僕解散。(7/28)。
第1回M-1グランプリ開催され、中川家が優勝(12月)。
演劇ユニットPiperに元
リリパットアーミーの山内圭哉が加入。
みやなおこが
そとばこまちを退団。
山田ジャックがトークライブシリーズ、ギリギリアウトをはじめる。
ANATAKIKOU結成。
藤村司朗と垣尾優がダンスユニット、呆然リセットを始動。
2002
/H14
ONI[オニ](G.,Vo.)、PIKA[ピカ](Dr.,Vo.)の2人が、大阪であふりらんぽを結成(5月)。
バッファロー吾郎が、梅田コマ劇場にて「ご存知!ねずみ小僧次郎吉」なる公演を行う(12/4)。
第2回M-1グランプリ開催され、ますだおかだ優勝(12月)。
“アウトドアホームレス”結成。
大阪にて“巨人ゆえにデカイ”結成。
2003
/H15
扇町ミュージアムスクエアが閉館(3/16)。
エレクトロサウンドユニット“DAMAGE”結成(4/1)。
テントアルバム『デカメロン』をリリース(4月)。
後藤淳平と福徳秀介、お笑いコンビ"ジャルジャル"結成(4月)。
フリーペーパー『ザ・バッグ・マガジン』が5月号(第27号)をもって、創刊準備号をあわせ計28号を発行し廃刊。
元INU〜アウシュビッツの林直人死去(7/25)。
後藤まりこ(Vo.,G.)、小銭喜剛(Dr.)らにより、ミドリ結成(7月)。
大阪農林会館の2階にベルリンブックス開店(8月)。
大阪球場跡地になんばパークス開業(10/7)。
青木一郎死去(10月)。
元ULTRA FUCKERSのモブ・ノリオが「介護入門」で第131回(平成16年度上半期)芥川賞を受賞。
"DEATH SURF 2000"解散後、ボーカルのUE神らにより、インダストリアル・ボディー・ビート・バンド"EERECYIONN"結成(冬)。
OORUTAICHI とYTAMOにより“ウリチパン郡”結成。
2004
/H16
近鉄劇場、近鉄小劇場、ともに閉館(2/4)。
Piperに腹筋善之介、竹下宏太郎が加入(4月)。
富田林でロックンロールバンド、ザ50回転ズ結成(4月)。
フリーペーパー『強力セッポンナー』が『ボンジュール・セッポンナー』として復刊(4月)。
作家、中島らも死去(7/26)。
バッファロー吾郎がZepp Osakaにて、12/20の午後8時から、12/21の午後7時30分までの長丁場のイベント、「バッファロー吾郎の23時間半ライヴ〜再入場OKです〜」を行う。
2005
/H17
井筒和幸監督、映画『パッチギ!』公開(1/22)。
ABCで『追悼ケンドーコバヤシさん』が放送される(4/22深夜)。
当時京都造形芸術大学に在学していた梅田頼子、松原江里、高岡麻衣の3人が京都タワー研究会を結成(7月)。
上田誠が原作を手がけたヨーロッパ企画の舞台作品を本広克行監督が映画化した『サマータイムマシン・ブルース』公開(9/3)
2006
/H18
ZUINOSINが第一期活動を休止(2月)。
一澤帆布店が営業休止(3/6)。
ベイサイドジェニー閉店(3月)。
松本竜介死去、享年49(4/1)。
京都市東山区に"一澤信三郎帆布"(の仮店舗)開店(4/6)。
転球劇場解散(7月)。
アメリカ村のライヴハウス“バハマ”閉店(11月)。
たむらけんじが運営する焼肉専門店『炭火焼肉たむら』が、大阪市城東区(蒲生四丁目)に1号店を開店(12月)。
2007
/H19
横山ノック死去、享年75(5/3)。
井筒和幸監督、映画『パッチギ! LOVE&PEACE』公開(5/19)。
嶽本野ばら、大麻取締法違反(所持)の現行犯で逮捕(9/2)。
バナナホール閉館(9/17)
かつみ・さゆりプロデュースのラーメン店『ボヨヨンラーメン ウマインジャー』が大阪市都島区に開店(11/1)。
2008
/H20
DVD『現代用語の基礎体力 DVD-BOX』リリース(1/25)。
ザ・プラン9より鈴木つかさが脱退(2月)。
神戸にて“踊ってばかりの国”結成(4月)。
神戸三宮のライヴハウス“チキンジョージ”がリニューアルオープン(5月)。
かつみ・さゆりプロデュースのラーメン店『ボヨヨンラーメン ウマインジャー』閉店(6/30)。
バッファロー吾郎、キングオブコント2008で優勝(10/5)。
12/25発売の2009年2月号をもって『Lmagazine(エルマガジン)』が休刊。
2009
/H21
赤犬から、和歌頭アキラ(松本章)が脱退(1/22)。
大西ユカリと新世界活動休止(1/28)。
朝日放送のラジオ番組『誠のサイキック青年団』が3/8の放送をもって打ち切り。
北野誠、記者会見を開き、無期限謹慎へ(4/28)。
ズットズレテルズ解散(8/14)。
ガンジー石原がアルバム『人間はカトリセンコウ』(クロスメディアレコード/CMCF-001)でCDデビュー(8/26)。
BOGULTAからベーシストのヨシカワショウゴが脱退(8月)。
カルチャーマガジン『IN/SECTS』創刊号発売(10/11)。
桂米朝(三代目)が文化勲章を受章(11/3)。
ズットズレテルズ初のCD『第一集』が(redrec/sputniklab.inc/RCSP-0017)リリース(11/11)。
12/25発売の2010年2月号をもって雑誌『ハナコ・ウェスト』が休刊。
メッセンジャーの黒田有が傷害容疑で逮捕される(12/26)。

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