[Guide 4 U]
-90年代サブカルチャー知ったかぶりノート。-

■はじめに。 
このページはもともと、『DiGi/USER DELUXE』読者の方への特設ページとして作っていたものでありましたが、限定公開の期間が終了しましたゆえ、一応開放しておきます。

90年代にリリースされた日本サブカルチャー史上において重要と思われる盤をオクダが勝手に選び勝手にレビューしております。あしからず。


■安達祐実『Viva! AMERICA』(1996) 
永遠の子役安達祐実、3枚目のアルバム。安達の素直というかのっぺりとした地声ボーカルからは素の彼女を感じられてファンには堪えられない逸品なんだろうが、ファンでもない人間が本作を聴くに徒に豪華な作家陣による楽曲の数々がその朴訥な歌声で台無しにされていくのが可笑しくて。ただ、彼女の音程を外しきらない微妙なボーカルに一度慣れてしまえば、その無垢のフィルターから透け見える表現力の確かさに引き込まれ彼女の魅力の虜になるであろう、もちろん慣れるまでの打たれ強さがあればの話だが。

■石野卓球『ベルリン・トラックス』(1998) 
電気グルーヴとしてのアルバム『A』発表から1年後に届けられた石野卓球のソロ2作目のアルバム。ポピュラーミュージックのテクノサイドから回答だった『A』とは違い、非常に私的でストイックで肉体的で、石野の波打たせる信号が直截的に受容する側の神経に訴求するような作品。

■UA『AMETORA』(1998) 
95年にデビューしたUA、2枚目のオリジナル・フル・アルバム。野性的と原始的とも形容しえよう音が創り出す景色の中で、ただただ唄う女が一人。何を唄うか以上に、どのように唄うかによって、自分の音楽を成立させてしまう彼女の非凡なる才を堪能しうる作品。良くも悪くも作家性の人です。

■エレファントカシマシ『東京の空』(1994) 
ポニー・キャニオンに移籍して「今宵の月のように」「風に吹かれて」などの曲をヒットさせ、お茶の間にもその異様なる宮本のキャラクターを浸透させたエレカシがエピック・ソニーからリリースした最後のオリジナル・アルバム。バンドブーム期には、自らその坩堝で騒ぐこと無くまるでその終焉を知っていたが如くに無愛想に振る舞った彼らが、束の間の喧騒が去った後にその徒然なる俗世を厭い憂いで綴った唄の数々。嫌になって嫌になっても仕方が無いから愛してやる、逃げ切ることができないなら進むしかないだろう、そんな不器用で不恰好な叫びは洗練には程遠く余りにも人間臭く歪で不細工、それがゆえに愛らしい作品。 

■岡村靖幸『家庭教師』(1990) 
1986年にデビューしたシンガーソングライターの4枚目となるオリジナルアルバム。今聴くとその饒舌さに随分と違和感をおぼえる。無闇に熱くならない、問題意識は持て余すだけでエネルギーを無駄に奪うだけ、という冷め切った90年代の風潮にそぐわなかったのか、この時代の大半を彼は沈黙に費やすことになる。岡村の濡れた視線と滑らかな舌先は社会や世間その総体に直接に向かうことはなく、都会の片隅で起きる架空の情事や青春の1シーンに施される。さぁ、カーテンを閉め切り聴覚以外の感覚を遮断し、彼の偏執狂的な描写の巧みさに陶酔せよ。

■奥田民生『29』(1995) 
1993年にユニコーンを解散した奥田初のソロ・アルバム。バンドブームも去り、せわしない打ち込みにハイトーン女子声を意匠とする小室サウンドが歌謡界を席巻する中、本人には意図せざるものであったろうがその飄々として力み過ぎない音と声でその風潮に不意のカウンターパンチで面食らわした作品。ユニコーンという音楽実験室に疲れたのか奥田がここで聴かせるのは、借りてきたギミックや小手先のトリックに頼らない、自らがここまでの間に血肉として消化してきた音楽の髄を滲ませた若年寄ロックであり、本作は29才の奥田民生が自身の中で煮込んできた音楽論の中間発表とも言えよう。

■小沢健二『犬は吠えるがキャラバンは進む』(1993) 
フリッパーズ・ギターを解散した小沢健二の初ソロアルバム。前バンドの最終作が小さく光る無邪気な終末を描いたような作品だったからか、まるで自分の足場から固めようとするかのように地に足のベッタリついた、息遣いや鼓動すらも伝わってきそうな私小説的な作品。『LIFE』でオザケンとなり王子化する前の青年小沢健二の赤いダイアリ。

■カーネーション『ビューティフル・デイ』(1995) 
カーネーションの名を音楽マニアの外にも認知させたシングル「イッツ・ア・ビューティフル・デイ」を含む95年の作品。自閉的に凝りに凝ったサウンドにコアな支持者を持つ彼らであったが、もはや若くはない10年選手は開き直ったか何かがフッ切れたのか、そのベクトルは徐々に外へと向き始めた。コロムビア移籍後の初アルバム『EDO RIVER』(1994)でみせたグルーヴ感はそのままに、清も濁も併せ呑んできた大人が楽しげに繰り出すナイスチューンの数々は、聴く者の顔もほころぶほどに。"Don't Trust Over 30"なんてスローガンを忘れてもいいか、と。

■カジヒデキ『ミニ・スカート』(1997) 
まず驚くのが、これが1997年の作品ということ。フリッパーズ・ギターの解散から5年は経った時期にまだこんなことをやっていたのか、と。ネオアコースティックとはスタイルの美学であり、エヴァーグリーンな輝きを保ち続けることを美徳とするなら、納得することもできようこの成長を拒むよな息苦しい停滞感も。過去遺産のリサイクルを思考を凍結させたまま続けることにゴーサインが出たと無自覚に勘違いする者を少なからず発生させた罪深き作品。

■かせきさいだぁ『かせきさいだぁ』(1996) 
ヒップホップ・ユニットのトンペイズでの活動を経てソロとなったかせきさいだぁの初ソロアルバム。はっぴいえんどやつげ義春などの日本のサブカルチャー遺産を、ヒップホップの形に再構築した。彼の柔軟な抽斗使いは、日本のヒップホップ界だけならず現代を生きるその後続者に大きな影響を与え、自らのアイデンティティの起源を前世代へ求めそれを同時代流に翻案するしたたかな表現者達の出現に一役も二役も買ったことは間違いないだろう。

■川本真琴『川本真琴』(1997) 
華奢な体、掻き鳴らすギター、背伸びをした少女のようなイメージで登場したシンガーソングライター珠玉のファーストアルバム。徹底的に描かれるのは、恋によってバランス感覚が決定的に欠如した"あたし"。振り回され翻弄され攪拌され、自分を失ってしまいそうな状態、その快感と恐怖を抱きながらも気丈に生きる"あたし"が好き、そんな思いが漏れ聞こえてきそうな、マゾヒスティックでそれ以上にナルシスティックな少女の胸の内をチラリ覗こう。

くるり『さよならストレンジャー』(1999) 
実に丁寧。立命館大学の学生によって結成されたバンドのメジャー第1作は、ロックに対しての学究的な姿勢とそれに対する妄想と愛によって組み立てられた実直なアルバム。自らの出自の処理法とバンドの進化を提示するバンドの雛形として今後とも楽しませてもらいたい。

ケン・イシイ『ジェリー・トーンズ』(1995) 
90年代のサブカルチャーを振り返るに重要なタームに"テクノ"が挙げられよう。電気グルーヴがアルバム『ビタミン』をもってして、既存の音楽シーンに対して提起した歌を必要としないポップミュージック、それがテクノだった。まさに伝道師的立場に身を置き全力をもってリスナーを啓蒙しそれを広めたのが電気グルーヴであったが、イシイはその作品を海外に送りつけいきなりの成功という既成事実をもってして、テクノの持つ可能性を実に明確に顕在化させた。日本におけるテクノは、90年代中盤にサブカルの踏み絵として機能し、他の文化と同様に消費されるも、クラブカルチャーの最大要素として定着し現在に至っている。

■コーネリアス『ファンタズマ』(1997) 
非常に情報量が濃密でコーネリアスこと小山田圭吾のやろうとしたことの意識の断片が幾重にも折り重なったり広がったり、これを楽しめるか楽しめないか、わかるかわからないか、聴く者に必要とされる知識と感覚を試す当時のサブカルチャーの踏み絵のような作品。箱庭に収まった小宇宙とも思えるほどに完全ではあるもののこじんまりと閉じ切った感もあり、ポスト・ロックの到達点の一つであり行き止まりの記録として今後とも鑑みられるべき作品。

■KOiZUMiX PRODUCTION『bambinater』(1992) 
小泉今日子を肯定することは80年代を肯定することかもしれない。80年代中盤以降のトンガリキッズのポップイコンであった小泉が一連の「裏小泉」界隈から当時気鋭の人脈に擦り寄ったその結果。渋谷系というのは、任意の素材にとびっきりの加工を施してそれなりの消費に堪え得る商品に仕上げる化粧法だったのだな、如何様の変容にも応えられそれを自らの仕様だと市場を思い込ませてきた小泉がその最先端の奇術を用い巧妙に変身できたのも当然だったわけで。

小島麻由美『セシルのブルース』(1995) 
渋谷系も停滞の様相を見せてきた頃、その変異種のように現れたシンガーソングライターのファーストアルバム。昭和歌謡を志向した音楽性は当時目新しかった。彼女は、その曲々で建設する虚構の書き割りの中で女優となり、物語の力を借り奥床しく"私"を露出する。何でも剥き出しにすることが美徳だった時代への彼女なりのアンチテーゼだったのかも、と今思う。

■サニーデイ・サービス『愛と笑いの夜』(1997) 
過去の音楽を現在的な感覚をもって再構築する、それが渋谷系の命題だったと仮定すれば、彼らほどそのお題目を果たせた青年達はいないだろう。都市で生活する者のその鼓動の響きは時代は違えど同じであるから、彼らの音楽は決して褪せた色ではなく、そこで起こりそして失せる感情の移ろいを鮮やかに美しく描き尽くした。

■ジッタリン・ジン『Chick-A-Biddy』(1995) 
「エブリデイ」「プレゼント」「にちようび」「夏祭り」などのヒット曲を連発するも、バンドブームの衰退と共に消えたと世間には思われたジッタリン・ジンがインディーズからこっそり発表した作品。本作ではブーム期より実験的に導入されてきた沖縄テイストも板につき、レゲエやカントリーといった要素もしかと自らのものにした音楽的成長も聴いて取れる。風通しがよく軽快なサウンドは飄々と気張らないボーカルと相まって、聴く者の熱を冷まし凝り固まった身をほぐしてくれる。90年代後半には、勃興したメロコア/スカコアの先駆者としての再評価も起こり、00年には晴れてメジャーに戻った彼らであるが、その淡いソーダ水のようで、どこかあまのじゃくなポップ感覚は健在でして。

■篠原ともえ『スーパーモデル』(1996) 
サブカル、まさしくその実も蓋も無い語で半ば無防備に形容されるに相応しい、寿司屋の娘のファーストアルバム。90年代に復活したトンガリキッズというキャライメージでデコレートされた彼女の玩具的な素養を、思う存分出鱈目かつ丁寧に遊びきったのは電気グルーヴの石野卓球。これは愛と資本主義の介在した、彼と彼女の公開SMか。

■少年ナイフ『LET'S KNIFE』(1992) 
80年代前半から活動をはじめた大阪出身の女性ロックバンドのメジャー第1作は、インディ時代からの代表曲を中心としたアルバム。とても欧米人のような洗練されたカッコよさはないし、英語も巧く話せないし、と対外コンプレックスにまみれた日本人が、卑屈にではなく裸足で丸腰ですっぴんのカタコト英語のロックンロールで、アチラの観衆にその存在を納得させていく姿は痛快なものであった。彼女らのような立ち位置のバンドを、逆輸入という形でしか評価し始められなかったこと自体で、この日本という国のケツの穴の小ささをそこで暮らす人間が思い知るとはなんとも皮肉なことだろう。

■スチャダラパー『5th WHEEL 2 the COACH』(1995) 
日本が生んだ最強の軟弱集団スチャダラパーが、「今夜はブギー・バック」の次の年に発表した2年ぶりのフルアルバム。明らかに時代が不況の様相を呈してくるも、食うものには困らないぬるま湯な毎日は終わらないと思われた90年代のど真ん中、その浮ついた空気の色とスチャダラパーの描くモラトリアム絵日記は見事にシンクロしていた。以降、更なるスキルを身につけ音楽的にもいよいよ深化していくスチャダラであったが、時代が朽ちていく速さは誰しもの想像を遥かに凌ぎ、彼らが世間とズレていく様は可哀想なほどだった。あの頃を呼吸した若者達の多くが見ていた幸福な地獄のスケッチ。

■スパイラル・ライフ『フローリッシュ』(1995) 
アイドル的に扱われたバンド"BAKU"の残党ということもあって、不当な評価もあったユニットの3枚目にして最後のフルアルバム。で、元ネタは何なの?と詮索したくなるほどに、ウェルメイドな仕上がりからは彼らの素性は欠片も見えてはこない。聴き込むほどに感じるのは、フリッパーズ・ギターが剽窃や引用をオマージュや無邪気の名のもとに音楽建築の一手法としてなし崩し的に許容させてしまったことで、遅れてきた世代は表現のがんじがらめから解き放たれたんだな、ということで。

■Chara『ジュニア・スウィート』(1997) 
91年のデビュー以来、ワタクシ性が決して弱くはない作品を作り続けてきた彼女が、そのパーソナリティを丸ごと反映させて作り上げた5枚目のオリジナルアルバム。結婚、出産を経た彼女は、妄信的とも取られることを厭わないほどに、今まで以上に真っ向から愛について唄う。作品全体から満ち溢れる、迷いや曇りのない絶対的な主観性の存在に、ただただ圧倒される。

■徳永憲『魂を救うだろう』(1998) 
不協和音を奏でる世界を憂うでも厭うでもなく、ただただ冷やかに描く、そんなスタンスのシンガーソングライターの1枚目のミニアルバム。そのシニカルで鳥瞰的な視線は、スナフキンがもし実在したら、と思うほど。ギターを抱えたニヒリストは不況下で育った体温の低いポストベビーブーマーの感覚を代弁する。

■ナイス・ミュージック『nice to meet the nice music』(1993) 
YMOの洗礼を受けたナイスな2青年のデビュー・アルバム。フリッパーズ・ギターがシーンに与えた自らのルーツに忠実であれ、という素直に捻じ曲がった精神は彼らにも受け継がれ、ソフトロックやネオアコとも呼べる爽やかな趣のサウンドにテクノポップの音色で味付けしてどこか郷愁感漂う彼らなりのポップに加工している。時間軸を取っ払ってカタログ化された音楽の諸要素を融合させる、もしくはそのまま借りてくるという、暴力的で先達への冒涜とも取れよう行為を常套手段とせざるを得ない世代であることを逆手にとった無邪気な表現者群"渋谷系"発生の序章的作品。

■ナンバーガール『SCHOOL GIRL DISTORTIONAL ADDICT』(1999) 
向井秀徳を中心とする4人組ギターロックバンドのメジャー第1作。つんのめる焦燥と疾走。形容を拒絶するかのようなササクレ立って曖昧模糊とした感情を放流する。とにかく、予備校生とも思える冴えない容姿でイビツに煮凝ったロックンロールを唄い狂う向井の姿は男の目にもキュートだった。

■ハイ・スタンダード『LAST OF SUNNY DAY』(1994) 
90年代初頭にバンドブームが消え去ったことで更地になったシーンに、間抜けに死に絶えた前世代に砂をかけるが如く、極力飾りを払拭した英語詞ロックで乗り込んだタフな野郎たち。彼らの颯爽たる登場は先のブームにおけるラフィン・ノーズのように作用しTシャツでスニーカーの少年達にギターを持たせ、辞書で固めたカタカナ英語でどこかで聴いたよなパンクロック風の騒音を奏でさせるのでした。

■パフィー『JET CD』(1998) 
がんばってもがんばらなくても結局一緒ならがんばらないほうがいいじゃん、しんどいよりも楽なほうがいいじゃん、そんな90年代後半の沈殿した空気を象徴した普段着の私たち、そんなPUFFY初のフルアルバム。00年代に入って急に停滞を迎える2人ではあったが、モラトリアムとはその名の通りの猶予期間であり次のステップへ進むための準備状態であるからして、時代の隙間に入り込んだ箸休め的存在であった彼女達を我々が欲しなくなったのは徐々にではあるが時代は好転している証明なのかもしれない。踊り場の楽園、そんな間の抜けた表現が似合う息抜きのできる作品。 

■BUMP OF CHICKEN『FLAME VAIN』(1999) 
ハイ・スタンダードの功罪。その功の部分としては、ロックから難しい意味や意匠性を剥ぎ取りもっと肉体的で原始的な享楽主義に土台をかえしたというのがあろう。して、その罪は、ロックで何かを語り、何かを伝える、そういうことを前時代的なものに追い遣ったこと。一聴するに古臭くも思えるセンチメンタルなロマンチシズムも、皆、赤い血流れていることと同様に誰しも少しは持たざるを得ないもので、目を塞いで忘れ去ろうとしていたボクらはその真っ当なリアルを裏切るわけにはいかないのだったな。

■ビブラストーン『エントロピー・プロダクションズ』(1991) 
いとうせいこうとともに80年代中盤、日本語でのヒップホップを創始した近田春夫がブラスを全面的に取り入れた生音バックトラックとラップとの融合を目的に作り上げた稀代のコンセプチュアル・プロジェクト、それがビブラストーンだった。市民の敵と目される対象に反抗し大声を上げることのカッコ悪さなど知り尽くしたイイ大人たちが、いかに後ろめたさを払拭してそのミッションを遂行するのか、その試行錯誤の汗の匂いが彼らをどうしても頭デッカチなものに思わせてしまったのだが、彼らの後に遺志を継ぐフォロワーが出現しないことを慮っても、何と孤高で難しい位置にいたのかとその才と労を改めて評価しなければならないと思い知らされる。

■広末涼子『ARIGATO!』(1997) 
映画にも進出し、その人気も最高潮に達しようとしていたヒロスエの記念すべきファースト・アルバム。竹内まりやや原由子、岡本真夜、高浪敬太郎らの手により、彼女の特性であった透明感を全面に打ち出した作品であり、そのパブリック・イメージと違わぬ音傾向は実に爽やかで涼やか。ここまで、真白なカンバスならどうしても過剰に彩色を施して、素材をモルモットに身勝手な実験を試したくなるものであるものだが、プロデューサーの藤井丈司は凡庸で退屈と思われることを恐れず、彼女の魅力に従順にまるで恋人の似顔を描くかのように作品を仕上げた。青少年の理想の少女像として機能していた頃の広末涼子を追体験しうる作品。

■フィッシュマンズ『LONG SEASON』(1996) 
シングル「シーズン」を発展して作り上げたワン・トラック・アルバム。言葉をどれだけ連ねても、去来するのは空しさばかり。渋滞した世間から逸脱するための漂泊、浮世から離れ積極的な思考停止へ向かうための冷却装置。

■ブランキー・ジェット・シティ『BANG!』(1992) 
イカ天出場を機にメジャーデビューしたロックトリオの2作目。バブルが膨らみそしてはじけ、いよいよ腐っていく景色、そんな中で血の通った表現は出来ないとベンジーこと浅井健一は感じたのか、妄想の世界に建築された無国籍な乾いたパラレルワールドを舞台に、何かに追い立てられるようにロックを綴る。自らの世界観を勝手に成立させた上で、その中に生きる肖像をリアルに動かしていくという手法は文学的ともいえ、得てして陳腐で安っぽく堕してしまいがちなところを息詰まるほどの切迫感をもって描写しきるロックアンサンブルの力を聴くほどに思い知る。

■ポリシックス『1st P』(1999) 
オレンジのつなぎに、胸のPバッヂ、ライヴでの食パンを投げるパフォーマンス、といかにもな80年代ニューウェイヴへの回顧と憧憬の念を、無理矢理トンガラせたガレージサウンドでチャンポンに消化。ニューウェイヴ・オヴ・ニューウェイヴというインチキと本気の合成ムーヴメントの若き旗手となり、00年代に入って以降も続く80年代再評価を引き起こしたトリガーのひとつでもあった。

■ミッシェル・ガン・エレファント『ギヤ・ブルーズ』(1998) 
2003年10月にその活動を終えた国産ロックバンド、1998年の作品。変わらないことと進化すること、その二つ首のジレンマを飼い馴らし切った無愛想な男達の戦いの記録。目指したる先端へ、出口なき袋小路へ、自らを追い込んでいくには、足を踏み外し破滅を迎えることも厭わぬ筋の通った馬鹿になれ、と自らを強引に説得させることの出来た偉大なるロック馬鹿四体の人拓。

■ムーンライダーズ『最後の晩餐』(1991) 
ヒネくれたポップなメロディラインはそのままに、打ち込みを多分に取り入れた90年代型のムーンライダーズを提示した5年ぶりのアルバム。人工着色料で不健康に彩色した万華鏡の如きに広がる目くるめく音世界は、おっさん達の『ヘッド博士の世界塔』か。なんといっても、2曲目「Who's gonna die first?」と3曲目「涙は悲しさだけで、出来てるんじゃない」のコンボは傑出。前者にて、重く激しい打ち込みとそこに執拗に絡むギターをバックに唄われるのは家族崩壊の悲喜劇、それはまるで90年代に山本直樹や岡崎京子が描写した"リアル"であり、対して後者の重厚な管弦楽と泣くようなギターは、愛する者の為に出来ることはただそこにいることでありそんな自分の無力さに酔う究極のナルシシズムを演出し、この音色的にも対照的な2曲で視点を外と内に自在に変え戯画的にテーマを描ける巧みさは流石。

■モーニング娘。『セカンド・モーニング』(1999) 
ASAYAN出身のアイドルグループが『LOVEマシーン』での決定的ブレイクを迎える直前に出された2枚目のアルバム。ファーストアルバムから比べ随分と洗練された印象を持つ作品であるが、以後国民的アイドルになるべくして、この路線は半ば封印されることになる。大人でもなく子供でもない微妙な年頃の女子達が、決して成功の約束されない芸能界において彷徨う不安定さ、7人の女子の刹那を危ういバランスで寄せ集めたパズルのような作品。

■YMO『テクノドン』(1993) 
あのYMOが再結成する、それは90年代前半の日本サブカルチャー界の一大事件であった。リアルタイムでかの黄金時代を知る者は変わるも変わらないも90年代型のYMOを期待し、その往事を歴史として学んだ若い世代は伝説を追体験しようと、とにかく老いも若きも頭でっかちにその帰還を待ち望んだ。して、本当に現れたその3人のおじさん達は、彼らを出迎える殆どの人間の膨張し切った様々な思いを、あっさりと裏切った、まるでそれが目的だったかのように。本作で3人が持ち出したのは、同時代的であるが退屈で冗長とも形容されても無理はないアンビエントテクノの世界。まるで、頭を覚ませよ、と言わんばかりのその静かで乾いた音は、完全にYMOを過去の遺物として眠らせるための鎮魂歌だったのかもしれない。


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