[2001.07/08]

その1 / その2 / その3 / その4


その4 
さぁ,忘れないうちに「けものがれ俺らの猿と」の感想を書きます。これを見たのは,ロフトの地下だったかな,映画館の前には,平日と言うのに如何にもソレ風の男子女子がぞろり。席に坐って開演を待つ間,会場の声に耳を傾けるに,「オレこの夏の愉しみはあとはサマーソニックしかないゎ」と。ふーん若者。いや,そんだけなんスけどね。で,肝腎の内容,むずかしいことはわかりませんが,日本のサブカルチャーが育んできた土壌の上に確実に立っているな,と。不条理を不条理で終わらせるでなく,確実に笑えるコメディに仕上げている点はスバラシイ。それは不条理自体がこの国では既に普遍に溶け込んでしまっているんだな,なんて思わない。


その3 
あーあ,また買っちまった,別に欲しくもないCDを。充分に聴けてないCDも山のよう,海のよう,膿みのようになってるのに,また,どうしようもないものばっかりを。ま,好きでやってるから,別にいいんですけどね。てなように,今のこのマニヤなボクを作り出した雑誌に「ピコエンタテインメント」ってな,フザケたモノがあったのですよ,って言ってもほとんど知らないだろうなぁ,健全に日常生活を送っておられる男子女子は。創刊は,93年の夏,ちょうど,YMOが再生するとかしないとかのウワサが現実のモノになった,そのちょい後の話。カルトQのYMO大会でまりんがカルトキングになったり,スタジオボイスで「YMO環境以後」なんて特集が組まれてたりした頃の。言ってみれば,アルファレコードという何かと金の匂いのする会社が,様々なメディアで,カッコ悪くて胡散臭い動きをしていた頃。まぁ,当時ガッコのベンキョについて行けず,レンタルCD屋に小遣いを捧げてた自分も,例に漏れずに,そんなアレやコレのおかげで,YMOの魔法にかかり,すっかりハマリ道一本道。で,件の「ピコエンタテインメント」。この雑誌の秀逸だったのは,クラフトワークから細川ふみえまでの「テクノ名盤100」。この雑誌を片手に何件のレンタル屋をハシゴしたっけ,ちょっと大袈裟だがそのくらいの意味っつーか影響力があったんだゎ当時のボクにぁ。で,そんな偉大なる雑誌の二号以降はどうなったかというと,テクノ雑誌ともいえぬ,アイドル雑誌ともいえない,どうしようもないものになり,「誰が買うの」と思っていたら,案の定の休刊に。あの時,本屋でその醜態に出くわしたボクの気持ちは,菊地桃子ファンにとってのラ・ムーを見た時と同じようなモノだったんじゃないかなぁ,たぶん。幻の第3号をボクは待ってますよ,たぶん。


その2 
10人祭を,安倍なつみがメインで有り続けたパラレルワールドにおけるモーニング娘。と仮定するならば,「ザ☆ピース」は彼女らが進むべき道を見誤ったかと迄思える作品ではないだろうか。HCFDMを彷彿させるイントロは新地平への予感をも感じさせられたのだが,前作そして前作以前の作風を只トレイスした丈の作品で,歌謡曲そしてモーニング娘。自体をもパロディ化した10人祭のような革新性も批評性も感じ取れない,決して意識の高くない作品である。ヴィジュアル面でセンターが後藤真希から石川梨華へと移行したことが結果的にモーニング娘。の音楽性に何の変革をも齎さなかった。最早,手遅れなのか。
ただ,つんくには明日が見れとれた。それはえなりかずきのデビュー曲「
おいらに惚れちゃ怪我するぜ!」。10人祭を経て,つんくが到達したノベルティ歌謡の最長不倒。和楽器の導入,郷ひろみや宮路オサム唱法の挿入,寺内ックなギターワーク,アラジンなどを彷彿とするインチキバブルガムポップなコーラス,まさに無国籍イロモノ歌謡の極北。その歌詞世界もそうだが,これはつんくなりの「なんてったってアイドル」及び「俺は絶対テクニシャン」へのトリビュートだと思う。


その1 
ガーリーだから。そんなのイイワケに過ぎないんだよ。と,別に怒っているのではないのだが,昨今の女子表現者たちは,自らのアイデンティティに甘えてるんじゃないだろうか,と思うことが間々ある。その性特有の奔放性を十二分に大上段から振り翳して大胆なことをやってくれるまではよいのだけど,その表現に対する外圧が自身にかかるとなると,オンナノコだから許してね,との猫撫で声で,足元に擦り寄って来る,そんな己が立ち位置,つまりは女性であることを利用する傾向が強すぎるのではないだろうか。そんなことをよく考えているのです。ただ,これは,彼女らに対する嫌悪ではなく愛情だと,是非ご理解いただきたい。好きじゃなきゃこんなコト書かないって?そう,そういうことなんですよ,田嶋陽子先生,愛深き貴方ならわかるでしょ。
で,つらつらうだうだつれづれと書いてきて,結局何が言いたいのか,と自らに問えば,aikoこそが自身の才を世間に対峙させるに,ガーリー,オンナノコであることを無意識,いや計算なのかもしれないが,かつ巧みに利用している表現者ではないだろうか,ということなのです。彼女なら,オンナノコだから許してね,なんて戯言遺して,舌出して背中みせることもないだろう。だって,これがaikoだもの,と小さな体で胸を張って笑みを湛えながらも凄むだろう。凡百のガーリーじゃない,生き様としてのガーリー,そんな誇りと自信に満ち溢れているじゃないか。


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