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-関西サブカルチャー辞典-

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売名行為【Baimei-Koi】[劇団]
1985年,立原啓裕牧野エミ
升毅の3人で結成された演劇ユニット。「現代用語の基礎体力」などに出演。1991年解散。牧野エミ升毅MOTHERを結成。
ハイヤング京都【High-young Kyoto】[ラジオ番組]
KBS京都で放送されていた深夜ラジオ番組。つボイノリオらがパーソナリティをつとめた。
8・8ロックデイ【8・8 Rock Day】[イベント]
ヤマハ主催でもっておこなわれた関西地区最大規模のアマチュア・ミュージシャン・コンテスト。1973年,びわ湖バレイにて,第1回開催。1979年(第7回)まで続いた。
バッファロー吾郎【Buffalo Goro】[グループ]
NSC8期生である神戸出身の木村明浩と京都出身の竹若元博が1989年10月に結成したお笑いコンビ。その奇妙なコンビ名の命名主は元ボブキャッツの吉田ヒロ。吉本印天然素材(てんそ)にも参加。両者ともに眼鏡を着用し見るからに如何にもオタク風の容貌であるが,実質アニメや格闘技など各方面のサブカルチャーへの造詣は深く,その卓抜した知識とセンスは彼らが創造するコントや漫才へと多分にフィードバックされ同業者からの支持も厚い。木村が主宰する大喜利大会"ダイナマイト関西"は,笑いの新基準を提案する場として注目を集めている。
花形文化通信【Hanagata Bunka Tsushin】[雑誌]
1989年より1997年まで配布されたフリーペーパー。
嶽本野ばらが編集および執筆にかかわっていたことでも知られ,関西圏のサブカル少女たちの啓蒙に大きく役割を果たした。
花登筺【Hanato Kobako】[人]
劇作家。1928年滋賀県大津市生まれ。本名・川崎善之助。同志社大学商学部卒業。1959年,自らの船場会社での経験を生かした作品「番頭はんと丁稚どん」(毎日),大村崑のコミカルな演技で話題だった「とんま天狗」(関西)がともに爆発的な人気を得,一躍人気劇作家に。以後も「やりくり三代記」「細うで繁盛記」「ぼてじゃこ物語」「どてらい男」「ぬかるみの女」など数々のヒット作を産み出した。1983年10月3日逝去。
バナナホール【Banana Hall】[店]
大阪市北区堂山町に位置する老舗ライヴハウス。
バハマ【Bahama】[店]
大阪市中央区西心斎橋にあり,80年代前半には,44マグナムやアースシェイカー,マリノ,アクションなどがしばしばプレイし,ヘヴィメタル・ムーヴメントの西の聖地的な扱いをされたライヴハウス。
バンパイヤ!【Vampire!】[バンド]
1979年に京都にて和田良一,吉田バーシ明弘らにより結成された京都の古参パンク・ニューウェイヴ・バンド。1982年には
ビート・クレイジーに参加。
林繁和【Hayashi Shigekazu】[人]
料理講師。大阪出身。1989年に全国菓子大博覧会にて三笠宮寛仁親王名誉総裁賞受賞,1996年に西日本洋菓子コンクール工芸菓子の部で最優秀賞受賞など輝かしい経歴を持つ凄腕の料理人であるが,関西圏の人間に知られる彼の功績といえば,『探偵!ナイトスクープ』で見せた前衛的で実験的な料理への挑戦であろう。元来,視聴者からの身勝手な依頼を解決するという趣旨を持つこの番組で,頼まれては断れない優しさと自尊心とサービス精神の持ち主である彼は,「母乳でつくったケーキを食べたい」「巨大貝を食べたい」 「革靴を食べたい」 「ママレンジで料理をしたい」 「マンホールで巨大ワッフルを焼きたい」 「ウミウシを食べたい」 「巨大ナメクジを食べたい」 「世界で一番クサイ缶詰を食べたい」など,もはや彼への嫌がらせとも思える特異なる依頼をその敏腕で見事に解決,彼の変態料理人としての関西での認知度を確固たるものとした。
原田専門家【Harada Senmonka】[人]
CG作家。1974年生まれ。
NSC入学(11期生)後,ピン芸人時代を経て,吉本興業関連の番組やイベントなど各媒体のコンピュータ・グラフィックスを手掛ける職人。
潘裕司【Ban Hiroshi】[人]
バンヒロシ。1979年頃に京都で結成された歌謡ロカビリーバンド"スマッシュヒッツ[SMASH HITS]"(潘裕司/森口邦彦/天王寺春夫/杉本ハメ吉)のリーダー。1979年から『宝島』誌上にて京都の若者文化を全国に発信する「京都てなもんや通信」を連載。1984年にリリースした「バンちゃんとロック」は,2002年小西康陽の524レコーズよりリイシューされクラブヒット。
ビート・クレイジー【Beat Crazy】[団体]
1981年6月京都にて,コンチネンタル・キッズのラン子と篠田を中心に組織された企画団体。京都大学西部講堂を拠点に,独自の企画を生み出し,80年代中期の関西パンク・ニューウェイヴの中核的存在を担った。
ひさうちみちお【Hisauchi Michio】[人]
漫画家,イラストレーター。1951年京都出身。本名・久内道夫。喫茶店や種苗店に勤務する傍らに漫画を描き,漫画雑誌「ガロ」より1976年「パースペクティブキッド」でデビュー。以後,『ガロ』『マンガ大快楽』『
漫金超』などに作品を発表。主な漫画作品に「理髪店主のかなしみ」,主な文字作品に「山本さん家の場合に於るアソコの不幸に就いて」「ラビリンス」など。
ファンダンゴ【Fandango】[店]
ライヴハウス。大阪市淀川区十三本町。
プチグラ【Petit Glam】[雑誌]
大阪市西区北堀江を拠点とするプチグラパブリッシングが発行する雑誌。伊藤高が編集員をつとめ,"カワイイ"という価値観を大切にした誌面作りを追求するオンナノコ向け出版物。
古田新太【Furuta Arata】[人]
役者。1965年兵庫出身。本名・古田岳史。兵庫県立伊川谷高校卒業後、大阪芸術大学舞台芸術学部ミュージカル科に進学し,学内劇団であった
劇団☆新感線に参加。1984年「宇宙防衛軍ヒデマロ」で初舞台を踏み,以来「炎のハイパーステップ」「俺の愛し方」「スサノオ」ほか同劇団には欠かせない存在に。劇団の看板役者として人気が出ると同時に深夜番組をはじめとするテレビのバラエティ番組にも顔を出し始め,「現代用語の基礎体力」「ムイミダス」「未確認飛行ぶっとい」などに出演。
プレイガイド・ジャーナル【Playguide Journal】[雑誌]
1971年創刊された大阪発のタウン誌。1970年に創刊され1年で休刊となった『月刊プレイガイド』のあとを受ける形で誕生。タウン情報以外にコラム,インタビューなどが充実し,"ぷがじゃ"の愛称で関西圏の若者文化の主翼を担った。
いしいひさいち井筒和幸らも連載,最近では漫画評論家として知られる村上知彦は1981年10月から1984年3月まで編集長をつとめた。
ベアーズ【Bears】[店]
大阪市浪速区難波にあるライヴハウス。
山本精一により経営され,有象無象のノンジャンルな演者が夜毎,饗宴を繰り広げている。
ペリカンクラブ【Pelican Club】[雑誌]
京都で発行されていた異色の情報誌。
ほぶらきん【Hoburakin】[バンド]
1979年,滋賀県で結成された異色のロックバンド。日本のレジデンツとの異名をとる彼らはその存在自体が色褪せないオルタナティヴである。1982年秋の時点で森下太郎(Vo.),山本進(B.),黄之瀬英史(G.),木村隆浩(Key.),青山宝生(Dr.)という布陣。
ポンポンダリア【Pom Pon Dahlia】[バンド]
1985年に結成された水谷パティ[水谷麻紀](Vo.)、長谷部信子(key.)、池田龍介(G.)、北村悟志(Per.)の4人組テクノポップバンド。1992年に長谷部は
モダンチョキチョキズに加入。

 


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